• 昭和49年(1974年),中央公論社から刊行.
  • 語られる時代は昭和の始め.語り手がその頃を振り返るかたちで書かれている。
  • 手にとったきっかけは、おそらく、保坂和志がこの本のことを言っていて。
  • 古本が結構流通してる。こちらは中公文庫版ですが,数百円からあり.
    • 東京の昔
  • その後、ちくま学芸文庫に2011年に入りました
    • 東京の昔

「後になって書けば色々なことになる。併し現在はいつも現在で・・・」(p.120)

登場人物

  • 語り手(「こつち=こっち」と文中では表される)
  • 勘さん。本郷にある語り手の家の近所にある自転車屋の若主人。第一章で、語り手と梯子酒をする。
  • 古木君。近くのおでん屋で会った、帝大文科の学生。第二章で、本と外国にまつわる話を、語り手と銀座を舞台にする。
  • 川本さん。語り手がその子供を家庭教師をしたことがある「何でも屋のような金持ち」。第三章で登場。

銀座

  • 『東京の昔』で何度も言及される町が「銀座」だ、「銀座」では外国が外国であったと言う、外国が外国として感じられたという、銀座では外国という言葉を必要としないと、観念としての外国が「銀座」では遠のく
  • だからこそ、『東京の昔』の主人公は、知り合った帝大仏文の学生で、「外国に行きたい」と強く思っている人物をまず「銀座」に連れて行った

・・・が・・・であること

  • 吉田健一はこの小説の中で、繰り返し繰り返し「東京が東京」であること「外国が外国」であること「・・・が・・・であること」を問題にする。この議論は「いまここ」という問題に繋がっているようだ(たぶん)。
  • 彼は「東京の昔」を描いているが、それはノスタルジックな懐古ではない

「比較はできないんだ」

  • 繰り返されるモチーフの一つ、「比較はできないんだ」ということ。
  • 外国と日本は、何から何まで違う(「何から何までかってが違う」)のだから、どっちがどう優れていると言うことができない。
  • 「東京の昔」と「東京の現在」についてもそうなのか?(「その頃の東京というものを思うとこれも外国の感じがしないでもない」)
  • 歴史という問題も顔を出す。空白という言葉も。

変化

  • 「その頃はそれでは自分一人でいる時に何をしていたか努めて思い出して見ると結局は町中を歩き廻っていたということになりそうである。これは稼ぐ必要がある場合は別で稼ぐのは金と差しでいるようなものであるから一人でいることにならない。又そうして歩き廻って時が過ごせたことは何かを探してはそれを得ていたのだと結論する他なくて今になってその何かの正体を追うならばそれは変化だった。少しずつ凡てが変わっていくのが感じられた。それは過ぎて行くのでもよくて、ただそれは交代による推移だった。何かが生まれて来ていることは間違いないことでそれがその前からあったものの中でたったからこれが突然そうなったのでないことは確実であり、又それ故にこの新しいものはそれまであったものの一部に取り入れられてこの推移には脈を打つものがあった。」

  • 0213

「外」を「解る」こと

  • 「「解るだけじゃ足りないんじゃないでしょうか、」と古木君が言った。これはその文学を前に出た外国の話に引っ掛けてのことだった。それが外国というものの定義であるような気がこっちはした。誰でも外国語の文法を習って字引きを引くことは出来るが海で距てられた所が自分がいる所と地続きになるのでなければ、それともっと具体的に言えば自分の頭に銀座のようなところが生じるのでなければ外国という言葉かそのある特殊な響きがいつまでたっても消えないでいる。しかしそれならばどうしても外国に行ってそこを外国でなくす他ないのだろうか。」

  • 0206
  • 知覚的なもの/風景についての記述,つまり「今ここ」という意識,だからノスタルジーに「堕さない」と言えるか?
  • 主人公が自転車屋さんをやっている勘さんと、勘さんが開発した自転車の性能を確かめるために、彼らが住む本郷から大曲り、新宿を通って多摩川あたりへと遠乗りにでかけるシーン(p.176-)。季節は冬である。その到着地は、勘さんの家からの適当な距離の所にある神社が選ばれていて,「東京の郊外らしい田舎の中に町が少しある感じの所に入って行」った後、そこに到着した二人は折角来たのだからと周辺を歩く。そしてひとつの池の縁に出くわす。
  • 「そこのことが今でも記憶に残っているのである.それは曇った空の下に枯れた葦が水面の一部を蔽っているただの池で・・・」「・・・その時のことを考えるとその池が頭に浮かぶ.それは寂しいというようなことですむものではなかった.」
  • 「眼に映る程のものが何もないということはあってそれはただそれだけですみ,これは文字通り無視することが出来る.併し冬の曇った空の下で高くなった地面に見降ろされて池が水と思う他どうにもならない水を湛えて枯れた葦をその所どころに覗かせているのは無視するには余りにもそのみすぼらしさがそのままそこにあり,そうするとそのみすぼらしいのではなくてものの感じ,ただ或るものがそこにあることになるのだと思える前に,もしそれがただのものであるだけならば初めからみすぼらしくない筈だという考えが浮んだ.それはみすぼらしいのではなくて何か訴えているようでもあり,併しもし訴えているのならばもっと生気があるものであるのでなければならなかった.」
  • 「それは寂しいのですまないのでなくて何とも寂しい眺めで余りに寂しいので滅入ることもなかった.その冷たさが記憶に残っている.或はそれは冷たさだったのだろうか.それが名状し難いものなのでまだ覚えているということもある.」
  • この後,季節が変わり春が来る,主人公は,余りにも無残な印象だったその「下北沢だかどこだかの先にあった池」のことが気になり,勘さんに自転車を借りてもう一度尋ねることにする
  • 「「そんなに寂しい所だったかね,」と勘さんが言った.「それならば一緒に行って見る.余り寂しい思いをすることなんかないからね.」それで又二人で出かけた.」
  • 結果・・・
  • 「「余り寂しくもないね,」とこっちはただ先回りするだけのことを勘さんに言った.「あれは冬だったからね,」と勘さんは散文的な返事をした.「あの時は寒かった.」」
  • 「そこからの眺めは実にただその通りでどうということもないものだった.尤も桜が一面に咲いているのを見てこれが別にどうということもないというのは一つの言い方で子供の頃の記憶が懐かしいのは過去を薔薇色に霞ませているのではなくて無心に眺めたことがそれだけ克明に記憶に残っているだけのことである.」
  • 池の周りには,冬来た時に裸になった木立と思っていたのが桜であって花を咲かせていた,葦も青くなっていた
  • 「その意味でその池も桜も極く当たり前なものだった.それならば冬それを眺めた時の異様な印象はただその通りに見るに堪えないということだけですむのではないかという気がして来た.そういうものは我々の周辺にいくらでもある.それは見るに堪えないのであるより見るべきでないので人が裸になったときには目を背けなければならない.その池が裸の時に見たのだった.そこに深淵が覗いていると思ったりするものは精神に異常を呈しているので誰も死ぬ時が来るまでは死にたくないならば気違いになることも望みはしない.」

  • 「「今でも同じ町に住んでいる人達はどうっていうことはなしに集まれるでしょう.或は同じ所によく来る人達は,例えば銀座に.併しここは銀座じゃなくて我々は同じ町に住んでいない.それから,」と川本さんが又我々を見回した.「我々だから今こうしているけれど普通は今の日本で人が方々から集まるのは何か目的があってのことでしょう,それが学校の同窓会であってもその目的は同窓会であることにある.又それが一種の自衛の手段でもある.どうしたって今の日本じゃ勝手がよく解らないことが誰にとっても多すぎますよ,何もかも急いで作ったから.それでそれが解っているもの同士で行き来して親類で集まったりする.併しもっと風通しがよくなけりゃいけないでしょう.お互いに素性だの職業だの会社だのを名乗り合わなければ話ができないんじゃ窮屈でしようがない.それで我々がこうしているのは普通じゃないということになってそれでいつ又という気がしたんです.」」
  • 「従って本郷の町を歩いてそれが自分の故郷でもないのに自分が住んでいる町にいる感じがした.それは人間は何が目的で生きているのかと言った愚劣な考えを斥けるに足りて夕闇が早く町を包んでその中に付く明かりが懐かしい色をしているからそれが見えるところにいるのだった.又そのことが確かだったから季節の変化に応じて浴衣が単衣に変わり,単衣がもっと厚い地の単衣になってそのうちに冬が来た.もし或る場所がその場所であることで他のどういうところも思わせるならば一つの季節は後の三つでもあって秋で日差しが和らいだことに冬に縁側で日向ぼっこをする連想も誘い出されて又それだけ秋が秋に感じられる.そしてそれは電車通りを走る電車の音を聞いていてそれをいつまでも聞いていられる気になるのを妨げなかった.これは本郷の電車通りに立っている或る一瞬間があってそれがいつまでもあることになったことだろうか.そういう現在の連続のうちの我々は一生を終る.」,この人は「ある」ってことにすごいこだわる・・・

  • 0204 「どうもその頃はその電車が通っている道も砂利道だったような気がする.それだから春になって温かい風が吹き始めると埃が立ち,その為に電車通りに並ぶ古本屋の店先の本がざらざらした」,ただ記録しているような文章.触覚的な「ざらざらした」でグッとくる?
  • 「砂利が敷かれたばかりとただの泥道の中間位が砂利道の見どころである.その辺ならば道は一応平たくなっていて歩き易くてその上を懐手をして行けば天気の日にはまだ土から顔を出している砂利の灰色が土の茶色とこっちの眼には馴染みの配合をなし,それが雨の日か雨上がりならば砂利も泥も妙な具合に光って雨の道の観念を完成する.」
  • 「もしその辺の当時は勿論木の電信柱に自転車が立て掛けてあったりすればそれで文句なしに雨の日の東京というものが出来上がって筆太に書いた下駄屋の立て看板とともにここは東京だという思いに人を誘わずにはいなかった.」
  • 「それは夜泣き蕎麦の笛の音や羅宇屋の汽笛や晴れた日に空を舞う鳶と同様に東京の一部をなしていたので人口が何百人だとか東京市がいつの間にか東の京都に変わったとかいう泡沫の現象と違ってこういうものが東京であり,その為に東京が東京という町だったのでその空を舞う鳶がいなくなったのならばその代わりになるものが出来ない限り今の東京は東京でもなければどこの町とも呼べる程のものでさえない.」

参考

吉田健一論

  • 『吉田健一頌』という本があって、丹生谷貴志、四方田犬彦、松浦寿輝という面々が吉田健一論を書いている。