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[ 読書メモ/記録:2007年7月分 ]


目次

最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』

  • (新潮社, 2007) →amazon
  • こういうつくりの本が,自分は一番好きだなぁとあらためて思いながら読んでいる.
  • この厚さは必要である.ひとつの時代を語ることにもなっている,近現代史,自分のそれまでに知っていた色んな(歴史的な)事象に,あらためて一つの(新たな)流れの中で出会う体験.様々な資料の探索.聞き取り調査.紙の資料といっても多様(他の人の著作もあれば,公的な歴史的な記録,もっと私的なもの,手紙やメモや日記や・・・遺品として残された・・・),様々な人々のネットワーク,人々の肉声,シーンが目の前に再現される感じ,出版の世界,仲間たち,仲間たちとの集まり.編集者,ショートショートを書く作家と編集者,ファン,読者,短編作家,あるジャンル,マイナーなジャンル,時の流れ,世代をこえて読み続けられること,作品が発表された時期は(今となってみれば)かなり昔になる,
  • 様々なもの・こと・ひとをつないでいく,語り
  • 一つの本を読むというのはどいうことか? 一つの本の中には様々な種の記述がある,まず様々な種の記述を読めることは楽しいことだ,一つの本を機会に様々なことについて触れられる,その中には既に他のテキストなどで知っていた事象に再び新たな文脈の中で出会うということもある,それもまた独特の体験である
  • 地の文,地の文にも資料や聞き取りなどで得られたことが反映されている,それ(特に登場人物の心境の記述とか)を読む時の感触
  • 「気に入った小話があれば,感想を書くのではなく筋を要約して暗記する.暗記したら,今度は人に話してみる.」 p.286 それが小説修業の一環となっていたのだろう,というはなし
  • amazonのカスタマーレビューのいくつかにある,色々調べ上げてまとまあげる力はすごいけど,最相さん本人の考えだったり思い,みたいなものが感じられない,という意見.どうなんだろうねえ.そう言えなくもないのかな? この評を書いた人は,星さんにすごい思い入れがあるからこういうことをいっているのか,そういう自身の思いはかっこに入れて,作家というもののあり方,作品というものとは?みたいなことを問うつもりで言っているのか?
  • ながーい本の中の,あれここの記述はなんか違うな,テンションが違う,じわじわとたたみかけるように作者の考えが述べられているな,みたいなところ
    • この本でも,第十二章(短いアウトロ的な終章の一つ前の章)にそういう部分がある
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野矢茂樹『入門! 論理学』

  • (野矢茂樹著, 中公新書, 2006) →amazon
  • 【目次】[はじめに ⅰ][第1章 あなたは「論理的」ですか? 3][第2章 「否定」というのは,実は とてもむずかしい 35][第3章 「かつ」と「または」 73][第4章 「ならば」の構造 107][第5章 命題論理のやり方 139][第6章 「すべて」と「存在する」の推論 193][おわりに 244][索引 250]
  • 「…どう考えればよいのか.もう一度(そして何度でも),根本に立ち返って考えてみます.私たちはいま何をやっているのか」 p.113
  • 標準的な命題論理
  • 論理法則
  • 「こんなに手間をかけるんだなあというところは,感じとってほしい」 p.163
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福岡伸一『生物と無生物のあいだ』

  • (講談社現代新書, 2007) →amazon
  • もともとはナチュラリストを夢みていた著者(子供のころの生物・生命と触れた記憶が,多少ノスタルジックに語られる).成長し研究者としては,1980年代「遺伝子操作技術が誕生し分子生物学の黄金期が到来」p.5 する中,その時代の熱のただ中へと「ミクロな分子の世界」へと突き進むことになる.本の後半で,著者自身が関わった研究・実験がわりと長めに紹介・記述される.その実験は失敗あるいは見込み通りにはいかない結果となる.なぜそうなったのか,ということになる.機械論的・操作的な生命観がまちがっていたのではないか,ってとこにいく.それでは,そうではない生命観というのは?ってことは全体で,様々な種の記述と混じり合って,分散的に語られている.
  • 分子生物学,その世界での発見,それに関わった研究者たち,その逸話など
  • 研究者の営為について
  • 科学的な検証について,実験というものの実際,その様々な方法,立証・観察・介入実験・因果関係の見極め……
  • 著者自身の研究生活(特に海外での),著者らが行った実験・研究の少し詳しい記述
  • もともとは出版社のPR誌で連載されたもの,生命の定義,これはこの本のタイトルと関わる部分だが,この事が徹底して―たとえば思弁的に――扱われるわけではない,様々な種のテキスト/記述から成っている
  • メタファーやアナロジーを用いた説明
  • もちろん生物学における知見も色々と書き込まれている
  • 「マクロな現象をミクロな解像力をもって証明する」「事実を精密な実験で」証明する p.154/(生命の律動というような言葉が喚起するイメージを)「ミクロな解像力を保ったままできるだけ正確に定義づける」 p.38:こういう営みを著者は自らの仕事として大事にしているようだ(科学者としては当然かもしれないが).あと次のような部分:「自分の手で振られている試験管の内部で揺れているDNA溶液の手ごたえ」「研究の質感[…]これは直感とかひらめきといったものとはまったく別の感覚」「最後まで実験台のそばにあった彼のリアリティ」pp.55-56
  • 20Cの生命科学において 「生命とは何か? それは自己複製するシステムである.DNAという自己複製分子の発見をもとに私たちは生命をそのように定義した」p.164 1953年.ネイチャー誌にDNAが二重ラセン構造をしているという論文が発表.その構造は,自己複製の機能を示唆.分子生物学時代の幕開け.このミクロな分子の世界に生命の鍵が.分子生物学的な生命観はデカルトが考えた機械論的生命観の究極の姿.
  • しかし「自己複製が生命を定義づける鍵概念であることは確かではあるが,私たちの生命観には別の支えがある」 p.165
  • エントロピー増大の法則:「エントロピーとは乱雑さ(ランダムさ)を表す尺度である.すべての物理学的プロセスは,物質の拡散が均一なランダム状態に達するように,エントロピー最大の方向へ動き,そこに達して終わる」 p.147
  • 生命もまた物理学的な枠組みの中にその身を置いているが(死をむかえるまでの長い間)「自力で動けなくなる「平衡」状態に陥ることを免れているように見える」.動的な秩序を維持する,エントロピー増大に抗する力,その仕組みは?
  • 「生命とは要素が集合してできた構成物ではなく,要素の流れがもたらすところの効果」p.154 その効果としてそこにあるのが「動的平衡」.
  • 「絶え間のない流れによってもたらされた動的な」秩序.「秩序は守られるために絶え間なくこわされなければならない」 p.166 「生命を構成するタンパク質は作られる際[きわ]から壊される」 p.178 「生命体の身体は,パーツ自体のダイナミックな流れの中に成り立っている」 p.8 「生命とは動的平衡にある流れ」である.そうであることによって,生体を構成する成分に降りかかるエントロピー増大の法則に抗っている.
  • どのようにそんなこと(動的平衡)が可能なのか? それは「タンパク質のかたちが体現している相補性」によってである p.178 形の相補性
  • 動的な平衡のふるまい,生物の一回性・生物には時間が,不可逆の時間の流れがある,「私たちは,ケヤキはどれを見てもケヤキの姿をしているがゆえに,一本のケヤキのあり方の一回性を,しばしばある種の再現性と誤認しがちなのだ,しかしそこには個別の時間が折りたたまれている」 p.269
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原武史『滝山コミューン一九七四』

  • (原武史著, 講談社, 2007, 装幀:帆足英里子) →amazon
  • 『東京のローカルコミュニティ』を読み返したくなった/七十年代,田中角栄が総理大臣だった時代,革新的なもの,ニュータウン,マンモス団地,集団,班活動,班競争,児童会,ある一つの組が学校を支配する?,核となる生徒,受験戦争,塾,こことは違う場所を知ること,自分の住む場所の周りに何があるのか?(当時経験した部分,執筆にあたって調べられた部分),毎週末塾で試験を受けるため都内に出る,教育,教師,母親たち,民主主義,みんな,小学校時代,小学校での様々なイベント/活動,個人的な事柄,小学校の時の思い/体験を大人になって書くこと,歴史を描くこと,ストに関する記述(公共交通機関など),ストをしていた国鉄に対する乗客の暴動・・・「七〇年代前半の日本は,社会の不満に対しては実力行使に訴えるべきだとする空気を,六〇年代後半から継承していた」p.82),(書物を)調べて書かれた部分,聞き取り,小学生の抵抗?,大人となった自分の原点となったもの,戦前・戦中との連続(と切断)
  • 『論座』 2007年9月号に「本から時代を読む(18)郊外・コミュニティー」(玉野和志)の中でこの本についての言及あり.この本についての玉野さんの評が読めてよかった.
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山内志朗『ぎりぎり合格への論文マニュアル』

  • (山内志朗著, 平凡社新書, 2001) →amazon
  • 【目次】[はじめに][第一章 論文は楽しい][第二章 論文の基礎知識][第三章 論文を書く段取り][第四章 論文を書いている間の作業][第五章 論文の仕上げ][第六章 論文執筆あれこれ][参考文献][あとがき]
  • 「サルまん」を受けて「この本はさしずめ「ブタでも書ける論文入門」(略すと「ブタ論」)」(p.12)だそうだ
  • 論文に限らず「文章読本」としても読めるはず(アカデミックなものや「研究」に興味がある方がいいけどね)
  • 論文の形式についての解説が充実.構成について,そして様々な記号や略語の使い方,テキストの引用の仕方,参考文献リストの作り方・書式など.
  • 一方,なかなか熱い部分,書くことへと鼓舞してくれるところもある

    論文とは,共通の知に至る作業なのであり,普遍性を持っていなければならない.ATフィールド〔『新世紀エヴァンゲリオン』に登場する中心概念.Absolute Terror Fieled つまり,「絶対恐怖場」ということで,いかなる物理的攻撃もはね返すエネルギー力を保持する位相空間だとか何とか説明されているが,要するに「心の壁」のこと〕に閉じこもって,他人の批判が及ばないように,攻撃されないように,防御的に文書を書くことは論文になじまない.知識を共有する道を歩むことは,知の戦場に立つことなのである.」(pp.183-184)

  • 勇ましすぎるかな? でも,論文に限らず本気で「書く」なら,こういうことになるのかな.何かについて語る時,〈こうも言えるし,一方でこうも言える〉みたいに言い訳(のようなもの)や〈こういう風に読んで欲しいんだよーという〉メタ・ディスコース付きで語っているだけではしようがない(荒木・筒井・向後『自己表現力の教室』にメタ・ディスコースを削ろう,という節があった).
  • 「指に考えさせる」/市川浩『精神としての身体』
  • 参考文献に挙げられていたものから:ウンベルト・エーコ論文作法/この本(「ぎりぎり~」)自体は,戸田山『論文の教室』で参照されていて読んだ.
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ロビンズ・バーリング『言葉を使うサル―言語の起源と進化』

  • (ロビンズ・バーリング著,松浦俊輔訳) →amazon
  • (原著=Robbins Burling The Talking Ape: How Language Evolved→amazon
  • コミュニケーションのはじまり,において産出側ではなく受け手側に注目する
  • 受け手にとっての利益
    • まず聞き手.のちに,話し手が聞き手の能力を利用することもできるように
  • 模倣,アイコン性,インデックス性,共同注意
  • 慣習化,
  • なによりまず単語が・・・.音韻や統語法はあとから
  • アナログ/デジタル,離散的
  • 言語というものが展開・発達していくなかでの,すでに身につけられた区別を利用するという圧力が出てくる
  • 著者は言語学者ってことで,さすがに,わたしは言語というものをこういう風にとらえている,ってのがじわーっと感じられる部分など,おもしろい.なんで,こんな複雑な言語を使っているのだろうか? とか.人間の思考とか認識は言語で規定されている,みたいなことを言いすぎるのは,どうかしらん,とか.
  • 最後の章はそういう意味で,最後にいろいろとじわーっ,とという感じ.人間にとって「理論」とは?ってはなしも,いいね.

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