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『待つこと、忘れること?』

  • 「食にまつわる」文章群とお姉さん(久美子さん)の絵やデザインが楽しめる。読む人は読むという本だろうしあまり書くことはないけど、お醤油を「ぽっちり」落としてという「ぽっちり」という言葉が何度か出てきて新鮮だった(でも、辞書にも出ている言葉なのだな)。文中に「ウェブ上のクソ文章」というような言葉が出てくるけど、小説と違って、以外と金井さんのエッセイはウェブに相性がよさそうじゃないか。ウェブ上でこんな文章に出会うこともあるかもしれないと思った(読者を楽しませる、ということと関係してるんだろう。そういう意志のもとに書かれた文章は、ウェブ上にもあるもの)。
  • 映画への参照も多いですが、この本の中に登場した作品のデータベースをつくってはる人がいらした。

『恋愛太平記』

  • (amazon)
  • 文庫版解説:斉藤美奈子

関連書評

  • やっと読み終えた。堀江敏幸の「肉球的エクリチュール - 金井美恵子「恋愛太平記」をめぐって」(『書かれる手』に収録)によると、この作品は『小春日和』がまとめられた年に連載が始まっている(『すばる』に1988年6月号から1994年9月号に掲載された)。
  • 「・・・・・・かもしれないけれど、・・・・・・たのだろう、と朝子は、きしめんの茹で加減を見るために菜箸(さいばし)で一筋はさんで噛んでいるピンクのネットをかぶって部屋着姿の弓子をぼんやりとみながら思い、それにしても、・・・・・・のように思いもして、そんなふうに考えるのはいくらなんでも・・・・・・と思い直してはみるものの不思議でならず、・・・・・・と言った。」(原文では「きしめん」に傍点)
  • 『噂の娘』の中にあったものと同じエピソードが出てくるところがあった。
  • 母親が昔買っていた猫が、水道の蛇口から流れ落ちる水を見つめていたのを思い出すシーンで、堀江のおそらく『ゼラニウム』の収録されていて小説の中の、こちらは排水溝に水が渦を巻いて吸い込まれていくのを眺める猫(そして手で水をかき混ぜるようにする猫)の話を思い出した。
  • 設定。コンセプチュアル・ アーチストの夫とか笑える。コンセプチュアル・アーチストの夫を持つのは四姉妹の内の一人で本人も画家(二人は離婚することになる、その後は年上の建築家の男との不倫)。美術についての、建築についての、文学についてのそれっぽい語りが出てくる。もちろん、すべて、登場人物たちが語るかたちで。
  • そして衣食住に関する語り。
  • 周囲の人々に関する噂

『小春日和』

  • 河出から文庫で出ていた(99年刊)。古本で探せば比較的簡単に見つかるのではないでしょうか?
  • 大学に入りたての桃子(19歳)。
  • おばさんにあたる小説家。桃子はこのおばさんのマンションに居候中。
  • 大学での唯一といっていい親友の花子。自分のことを「おれ」と言い、男の子のようにしゃべり、チビで中学生に間違えられる。
  • 桃子の両親は離婚した、母親と父親。
  • 彼女らのおしゃべりが延々と続く。
  • 合間に、そのおしゃべりの内容と関係する短いエッセイや小説が挿入される。おばさん(金井美恵子本人でもあるような作家)が書いたというかたちで。
  • 桃子、花子は大学の授業にあまり出ず、本を読み、映画を見て、それについてしゃべり、寝ている。あと食べて酒を飲む
  • 「東京には空がない、と智恵子は言ったけど、こうして五階の南向きの窓辺で寝そべっていると、鰯雲の浮かんだ晴れあがった秋空が窓いっぱいにひろがり、なんとも気持ち良くうとうとして、頭がからっぽになる。からだがポカポカしてむずがゆくなり、腕をまわして背中をポリポリかいたりしていると、すべて世はこともなし、とでも言った気持で、別に、何もいい事なんかないのに、自然に口もとに笑いがこみあげて来て、あーあ、と大きく伸びをして、床の上でからだをゴロゴロと回転させたりするんだけど、おばさんはあたしがそうやってゴロゴロしているのが不満らしく、あんたって、マグロ娘ね、こう、もう少し活動的になれないもんかねえ、と言うのだけれど、自分だって、昼間は眠っているし、夜は夜でベッドに横になって本を読んでるだけなのだ。 /これでいいのかなあ、と思いつつ、思ったそばらから、ま、いいか、という気持ちになって眠くなるのだった。」
  • 後書きに次のように書かれている。「本当のことを言えば、いったい、こういう桃子や花子のような若い娘たちが、将来どういう女性になるのか、不安を感じないわけではありません。彼女たちは、ちゃんと恋愛が出来るのか、ちゃんと職業につくことが出来るのか、と、つい、いらぬ心配をしてしまいますが、それは、言ってみれば、おばさん的心配に過ぎないのかもしれません。」、これは単行本時のあとがき(88年)。文庫本のためのあとがき(99年)として次のようにことばが加えられる。
  • 「彼女たちは、どうなったのか? /それが気がかりで、作者は十年後の桃子と花子について、『彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄』というタイトルの、その後の彼女たちの生活について、書いている最中です。二人の生活のいろいろな事が変わりました。」
  • 2000年に、この『彼女(たち)ー』は出版はされている
  • 文庫版に収録された斎藤美奈子の解説。この小説の「ときは一九八〇年代のなかば(かな?)」と書かれていた。少女小説ということが言われ、(余談として)同じ時期に出版された別の少女小説=吉本ばなな『キッチン』と読み比べれば?という提案がある。

『タマや』

  • 河出の文庫で出ていた。

『噂の娘』

  • 半分読んだあたりでかなり長い間そのままにしていた金井美恵子『噂の娘』を読んだ。間があいたせいもあるだろう、この小説の中では多くの人々に対する言葉が流れるように書き連ねらているのだが、今語られている対象(例えば母親)というのがどの人のことなのかわからなくなることが多かった。もしかすると、本の中で母親と呼ばれている人はたった一人なのかもしれない、そうであっても過去のどの時点の母親なのか追えなくなるような。
  • 小説の中の、二つの家族。「私」と弟とその父母というそれ、そしてその「私」と弟が(父母と離れて)預けられている母親の友人の美容室の女達(マダム、おばあちゃん、姉妹に見習い)。またその美容院がある街の人々。
    • つまり、「私」と弟の父母について語られるとき、そこにはいつも記憶や想像が混じりこむ(それでは、記憶や想像でないものとは?)。
  • また、挿入される『秘密の花園』の物語。
  • あいまいなさまざまな記憶が繰り返し語られる
  • 何度も読めるんだろうな。
  • 読んでいて、ああこの人らしいや、という記述がやっぱりあるなあ
  • 単行本刊行当時、出版社のPR誌に載った著者による紹介文
  • 書評 「「置き去り」のオスティナート」 by 丹生谷貴志
  • 言及がある 「文学史は「病院」から「美容院」へと、その場を移しうるだろうか」 @ 『批評空間』 『噂の娘』に言及 by スガ秀美

『文章教室』

『彼女(たち)について私が知っている二,三の事柄』

  • (97,99)
  • 『小春日和』の10年後の話。読んでいる時間の楽しさは『小春日和』の方がある?(『小春日和』の花子と桃子が大学生だったから?)
  • 新しい登場人物岡崎さんの存在感。最後に当然のように登場してくる『タマや』の登場人物、その登場によって空気が変わる感じ(その空気でこの小説を終わらせてくれる作者)。そしてまた、この後の書かれていない時間の中で、同じように空気が変わるんだろう。
  • 「偽日記」でのこの本に関する記述
  • 三浦俊彦による書評
  • ウェブ日記を持ち出す「迷宮旅行社」での書評
  • この書評の最後のワンセンテンスは、この人が何を書こうとしているのか、このテキストの中だけからはきっちり判断できないので保留
  • 春眠というサイトをやっている人が(おそらくそれに対する評価はとりあえず置いておいて)、ウェブ上に溢れる日記が人の知覚体験を変えるんだろうなーというようなことを書いてはったけれど、それを読んで、たとえばぼくも、自分が体験した震災の時に今と同じように毎日何かを書くというようなことをしていたばあい(ちょうどその時、震災について書いていたからそういうことを思い起こしたのだが)、その体験はまったく今違うものとして残っていただろうなと思った
  • ウェブ上のテキストがゴミだなんて、既存の枠(?)の中での判断なんてしてもしょうがないのにねえ、それより(判断を保留にしてでも、というかどこの視点から判断が可能なのだろうか)状況をじっとみることを自分はしよう
  • 金井美恵子のテキストにがウェブ日記どどう違うのか(それは全く違うだろう?)
  • 金井美恵子のテキストと、そのテキストの中でだらだら続けられる「彼女たち」の会話、上の文章で三浦さんが書いているようにそれがユートピア的空間での会話でったとしても、とがどう違うのかそれもまた重要
  • 最後らへんで、小説家であるおばさんが、桃子と花子に言う言葉
  • 「……あばさんは、今度は大仰に溜息をついて、あんたたちは、そうやって喋ってるばかりで、それをなんとか、こう、なんとかならないものかなぁ、と言い、私と花子は顔を見あわせた。 /それって、何かを書くとか?と、花子が言い、おばさんは、そうそう、それっていいと思うな、……」
  • この後、話は、いつものように、横道へとそれと行くが、とりあえずそれに対して彼女たち(桃子と花子)は「そんなこといったってねー」とし答えようがない(そして、話はまた横道にそれていく

  • 堀江『書かれる手』に金井さんについてのテキスト
  • 金井さんの本には、ADをお姉さんの金井久美子が、文字組みを鈴木一誌がやっているものが結構ある。