四方田犬彦 『月島物語』

  • 集英社、1992年
    • 99年に集英社文庫に入る.
    • 07年に工作舎から「書き下ろしエッセイ、建築史家・陣内秀信氏との対談、各時代の月島風景などを」加えた「決定版」が『月島物語ふたたび』として刊行.
月島物語    月島物語 (文庫)    月島物語ふたたび

  • 以下のノートは,文庫版に基づいて書いたはず

  • 「本書は一九九〇年が初頭の記録[ドキュメント]である」。(p.295)
    • ニューヨークから月島に移ってきた

第一回 ライディング・オン

第二回 埋立地は語る

  • 「何かよんどころない事情があって「陸」の社会に居辛くなった者、志をもちながらも「陸」では成功の機会をもつことができず流れてきた者。あるいは埋立地という新興の周縁地を出発点としてやがては「陸」への進出を狙おう眈々と目を輝かせている者。さまざまな動機を抱きながら、人々はこのニューフロンティアに集結した。そして島も彼らを必要としていた。」(p.32-43)

第三回 孤児流謫[るたく] Ⅰ

  • きだみのる
    • 1895年(明治二八年)、奄美大島生まれ
    • 自叙伝的小説『道徳を否む者』
    • 1912年(大正元年)に月島を初めて訪れる

第四回 孤児流謫 Ⅱ

  • 大泉黒石
  • 大岡昇平

第五回 月島通一九九〇年三月

  • 「世間では下町情緒だとか、ウォーターフロント・ブームだとか、気楽に囃したてているのだが、現実の月島で生じているのはこうした過渡的な、落ち着きのない現象である。これまで何も意識せずそこに存在していると思っていた長屋や商店が、何の予告もなくある日消滅する。残されるのは周囲の建物の剥出[むきだ]しの壁。数日してからがらんとした敷地内に立札が立つ。「求む不動産。大小に拘[かか]わらず秘密厳守」。日当たりのよい空地を目ざとく発見した近隣の住人が、ただちに鉢植えを並べ始める。」
  • 「(というわけで、今回は予定を変えて、)現時点での月島を幾分なりともスケッチしておこうと思いたった。五年後、十年後に同じ場所に立ったとき、風景がどのように変貌しているかを見定めるための、資料にしておくためである。」
  • …ということで、この章はフィールドワーク的な記述

第六回 大川の尽きるところ

  • 「新佃島のことは何となく気になっていた。」
  • (月島が工場用地として発展を遂げていたに対して)新佃島は、「もっぱら陸の東京に飽いた者たちが気長に療養したり、今でいうリゾート感覚のもとに時をすごしていた場所であったようである」。
  • 「新佃島は何よりも大川の滔々[とうとう]とした流れが東京湾の展[ひろ]がりのうちに姿を消す、その最後の景勝地であり、向島から駒形、柳橋、浜町と水の流れに沿って到来した江戸情緒が、モダンな新天地の雰囲気に出会うところであった。」
  • 一九百年代初頭に建てられた「海水館」という割烹旅館、「明治終わりから大正初期にかけて、少なからぬ文学者がこの館に滞在した」
  • 島崎藤村、小山内薫、三木露風、吉井勇、日夏耿之助、佐藤惣之助、木村壮太、竹久夢二
  • 「まさに大正時代の文化的環境[ミリュウ]が集約されたかのような面々だ」そうだ。「彼らは食事や散策のたびにどのような対話を交わしたのだろうか。また、そこで頻繁に唱えられた西洋の哲学者や詩人の名前は誰であったか」
    • 「今日ではめったに見られなくなったが、第二次大戦前のパリでも、ニューヨークでも、東京でも、文学者や芸術家が同一の家に住んで擬似的な共同体を形成することはけっして珍しくなかった」
    • 「半世紀以上後にそれを想像することはかなり奇妙なことである」。なぜなら、「同じ場所、同じ建物に住むことによって生じる文学的共同了解、あるいは同志的共鳴といったものが、一九九〇年台の東京では不可能となってしまったためである。(この半世紀の間に日本文学は世代的な場所偏愛[トポフィリー]をしだいに困難にしてきたのである。)」 ふうむ…
  • 小山内薫の作品を取り上げる(「明治が終わろうとする時代の隅田川河口の微妙な町の雰囲気を描写した作品として」)
  • 三木露風の詩を取り上げる(「自分が日常に散歩をしている埋立地の一区画が八十年前にかくも昂揚[こうよう]した詩的言語の対象とされていた事実を確認しておきたい」)
  • 海水館の衰退(「海水館の衰退は新佃島が大川端の景勝地であることを止め、月島に似た中小工場とその労働者の住宅地へとしだいに移行していったことを示している」)。
  • 現在の風景の描写
    • 「植物はどんな空地にでも種を降ろし、実を結ぼうとする。人はいかなる偶然から生じた空地にもひとつ、ふたつと鉢を並べ、目の悦びに花を植えようとする。」
      • こんな風に人が鉢を置いていく行為の描写は、この本の中で何度か繰り返されていたはず

第七回 衣裳の部屋

  • 石川淳『衣裳』
  • 四方田邸の説明

第八回 猫と鼠

  • 動物から

第九回 佃の大祭

  • 日記調で、佃の大祭への参加を記録

第十回 勝鬨橋と月島独立計画

第十一回 風の中牝鶏

  • 小津安二郎
  • 個人エピソード=篠山紀信が月島の四方田邸を早朝訪ねてくる(「あるとき珍しくチャイムが鳴った」)
    • 月島の近所の人は、チャイムを使わずに家に入ってくることがその前に語られる、つまりチャイムが鳴る=「異なるもの」の訪れ
  • →篠山さんが、小津の映画に出てきそうな家だと言う
  • →ここから、小津の映画と月島の関係について語られる(映画史的視点)
  • →その、月島が出てくる小津のある映画の話が、「この場所がいったいどこに想定されていたのか、長い間わたしは疑問に思ってきた」と、個人的エピソードへと接続される。「推理」が展開される(つまり、月島をさまよう著者、それは足=実際の空間ででもあり、テキスト=歴史の中でもある)
    • この複数の時間(時点)の存在は、この本の中でとても重要。ある過去の時点、執筆された時点、現在。ある場所に時間が流れた、こと。
    • 「推理」という言葉にも気をつけよう。この言葉は四方田さん本人が使っている。「推理」の精度、妥当性はどう確かめられるだろうか? /筆者によって展開される〈お話〉に読者はどれだけ付き合えるか?
  • →また映画のシーンの紹介に戻る(「さて、ようやく目的の桜井家を探し当てた修一は、・・・」)
    • 映画の中の人物も、四方田さんも、読者も、月島で「探」す
    • 映画が扱われている部分にも、「複数」がある。シーンが描写される(映像を言葉で紹介せねばならない)ことと映画史的視点
    • 映画史的視点(「小津は生涯に五十四本のフィルムを撮ったが・・・は唯一の・・・」「ほぼ同時期に撮られた黒澤明の・・・」)
  • →「この当時の月島はいったいどんなふうだったのだろう。/」
  • 時間的連続(?)で繋ぐ。「小津が『風の中の牝鶏』を撮って六年後、一九五四年に木村伊兵衛がこのあたりを訪れ、何枚かの注目すべき写真を残している。」
  • 写真に写った情景の分析が始まる。そこに何が映りこんでいるかを、一つ一つ指摘していく。
  • →この写真に写っている場所はどこか?、という問い。問いは、外へと尋ねられるわけで、またもや外が流れ込む。この場合は、友人のドイツ思想史の研究家である矢代梓(彼は笠井潔の兄でもある)。月島で育った矢代さんは、写真の中の子供たち(そう月島の子供達が写りこんだ写真なのだ)と同世代でもある。
  • しかしわからず、結局は月島図書館の人に聞くことによって解明
  • →この後の数行はちょっと駆け足で(接続は、先の写真が撮られた時間との連続、または撮られた場所との連続の中で)、吉本隆明(のちに詳しく取り上げられる)の名前、映画史ではシャーリー・ヤマグチであり、満州国では李香蘭であり、後に大鷹淑子として自民党参院議長となった人物について触れられる。最後の人物はいかにも唐突であるが、四方田さんはこの人についての本を書いているので、入れたかったというか、本人の中ではある何かしらの実感があるのだと思う。四方田さんならその実感についていつか書いてくれるのだろうとおも思える(二〇〇一年末に四方田犬彦編で『李香蘭と東アジア』という本が東京大学出版会から出ているようだ http://www.utp.or.jp/bd/4-13-080094-9.html
  • →さて、話はいまいちど月島の過去へ、「戦後の月島というのはいったいどんな感じだったんですか」と続く。ここで、そう尋ねられる相手は、「近所の老人たち」である。
  • 彼らが語るのは、アメリカ兵(「晴海は大部分が接収され、有刺鉄線を張り廻らせたアメリカ軍の基地と化し」ていた)の狂乱についてであり、アメリカ兵をやりこめた日本人のあるエピソードである。武勇伝として(現在まで)語り続けられているもの。
  • →話が数行、映画史へと接続し、外国人が映画の中にどう描かれたか?と問われる。先の小津の映画には、そこに実際はいたはずの外国人は写されていない。それはなぜだったのか?
    • ここはサッと、「興味のあるところである」という言葉で終わっている。この本には(『モロッコるてき』でもそうだったか)、これから以後の本でその論が展開されるかもしれない、「きっかけの問い」のようなものがぽんと投げられているところがある
  • →「では話しを現在に戻して」と、現在(一九九〇年代)の月島に見える外国人についての話へと移る。ここからは、観察(+一般的な知識)から書かれたもの。この章は、この話でお終い。最後の一文は「『風の中の牝鶏』からほぼ半世紀経ち、街の景観はずいぶん変わった。月島を通過する人たちもまた大きく変化したのである。」
    • この本では、章の最後の部分で、次の章への接続、たとえば、次の章で扱われる人物の登場が書き込まれることも多いような気がするが、この章の場合、次の章は、わりと一呼吸置きましょうという感じの、中野翠との対談なので、具体的な接続はなし。

第十二回 わが隣人、中野翠

  • 中野翠との対談
  • ゆるい感じ、だべり
    • それが許容されている感じがいい(こういう部分を含みうるこの本のぜんたいのあり方が いい)

第十三回 天使と大将

  • 黒澤明の『酔いどれ天使』のモデルが月島通りに住んでいた医者だったという話から
    • 結局、そうではなかったのだが、「土地の神話」
  • ちばてつやのマンガ

第十四回 もんじゃ焼きと肉フライ

  • 月島の二つの食べ物を取り挙げながら

第十五回 水の領分

  • 月島の水上生活者(「水の領分に属する者たち」)はどう生まれ、どう消えていったか

第十六回 エリアンの島

  • 月島に生まれた、吉本隆明のはなし

第十七回 高楼の変遷

  • 晴海高層アパートと佃島のリバーポイントタワーの比較
  • 「この対立の図式を不用意に踏襲することは、月島地区の百年にわたる歴史をふり返ってみるならば、誤りであることがわかる。他ならぬ月島の住民も以前は新居住者であったからである。」、「この対立の図式」とは、リバーポイントタワーと旧来の月島の対立的にとらえること
  • ***

第十八回 路地に佇む

後書

月島、そして深川。

  • 川田順造と四方田さんの対談(文庫版補遺)。川田さんは文化人類学者(レヴィ・ストロースの翻訳者としても有名)

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