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小谷野敦

比較文学に「対比研究」という方法があるのだな。小谷野さんの『新編 八犬伝綺想』の後書きに出てきた。

  • あっ違うのかな。「なお、私は「比較文学」が専門なので一言言い添えておくと、別の国の作品同士を、あそこが似ているからとか、主題が同じだからというので恣意的に持ち出してきたり行う「対比研究」は、よほど慎重に行わなければならない。」(小谷野敦「勝った戦争のみが若者を成長させる」、『聖母のいない国』) この本は、小谷野さんのデビュー作で、東大の比較文学比較文化専攻課程に修士論文として提出したものを書き改めたものだそう(芳賀徹に絶賛されて出版に結びついたそうだ)。この『新編』はその元本(1990年刊)にいくつかのテクストを足してちくま学芸文庫に入った(2000年)もの。
  • 関連:『波』での小谷野さんの文章
  • 講師をしている明治大繋がりで一つ上の文章でネタにしている斎藤孝と対談する小谷野さん
  • 小谷野さんは、明治大講師以外にも、東大非常勤講師、国際日本文化研究センター・客員助教授という肩書きも見かける。後者は井上章一が助教授として籍があるところ。小谷野さんは作家専業でやるつもりはない、というようなことを『反=文藝評論』の後書きでかいていた。そのことについて触れたテキスト。本とコンピュータの小熊さんのインタビューが参照されている。
    • 小熊さんと小谷野さんは同じく62年生まれだ。

『聖母のいない国』 [2002]

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  • 「グッド・バッド・ボーイの系譜」より。「『トム・ソーヤの冒険』が名作として扱われている間は、私たちは、「少年は悪童である方が望ましい」というジェンダー・イメージに囚われているのだが、一方で、「六八年」を経験した世代には、フェミニストも含めて、「善良な男の子」への抜きがたい嫌悪感が埋め込まれている。だから、「グッド・バッド・ボーイ」は、もしかしたら「メンズリブ」の主戦場たりえるかもしれないのだが、それに気づいている人はいるだろうか。」
  • 「サリンジャーを正しく葬りさること」より。「もっとも私たちは、二〇世紀後半の知的文化の中で、この種の、些細な言葉遣いで人の俗物性を云々するやり方に慣れてしまっているので分からなくなっているが、実はレーンを俗物だと感じるフラニーこそが、自分は彼より上に立っているというスノビズムに陥っているのだ。「それらしい場所で、それらしく見える女の子と・・・」などと考えているレーンは、俗物かもしれないけれど、そういうシーンの俗物性を感知してしまうフラニーの方は、我執の塊なのである。」
  • どうだろう、これは雑な話しかなー? /ぱっぱぱっぱと具体的な作品が参照されるのが、小谷野さんの文書のリズムだけれど、たとえばこの後では、「夏目漱石が、そういう固い自我から来る苦しみをきちんと描いたのが、『行人』においてである」と続く。/この例でもわかるように、西洋の文学も日本の文学も(また、そのジャンルも幅広く)参照していくのが、小谷野さんの書き方。
  • この本、金井美恵子の名前が結構出てくる。作品についての言及というより、(日本で言うと)金井美恵子のような作家が、みたいな話しとか、後は、小説と真実、小説と固有名詞というような話しで、松浦寿輝との関係について読みたいんじゃ、みたいな話しとか。

『片思いの発見』 [2001]

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  • かつて漱石は批評家のあいだでかなり評判が悪かったという話しが出てくる。その部分から。「いちばん激烈に漱石を批判したのは吉田健一で、漱石が扱ったような、人生をいかに生くべきか、といった問題は幼稚な疑問であって、小説はそういうものではない、と一蹴した。」
  • この後に、漱石再評価/漱石ブームと批評(江藤/柄谷/ハスミ/小森/フェミニズム批評)の関係のはなし。美に対して倫理を持ってくる。
  • 「要するに、少なくとも日本の「知識的大衆」(関川夏央)は、倫理や生き方を示してもらうのが好きなのである。マルクス主義もサルトルもフェミニズムも、そのようなものとして輸入されたのだ。文藝評論もそのようなものとしてあり、・・・文藝批評に限らず、人気のある学者の書くものは、必ず何らかの倫理を含んでいる。別にそのことを非難しようというのではないし、ことさら珍奇な現象だというわけでもない。」

『バカのための読書術』[2001]

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  • 身の丈に合った読書をしましょう、(自分が)思っているより読むべき本の幅はもっと広くあるはずで、というようなことは〈そうだよなぁ〉と思うところだけれど、そういうことを一度も感じたことがない人が、この本を読んで、そういう認識に至ることはあるのかな。もっと知るべき「事実」というのはあって、そのためには「意味」や「物語」も利用すればいい(そして、それを次第に解体していけばいい)というのは分かるけど。小谷野さんの本を何か読んでみたいと思っている人は、この本とかじゃなくて、ちっとは高級になるのかもしれないけど、具体的なイシューに取り組んではる本を読んだ方がいいと思うな。せっかく読書の時間をさくなら。そっちで十分、上に書いたようなことは考えさせられるだろうし、そこで気づかなかったらこれ読んでも気づかないんじゃない。