目次


memo

  • 四方田さんが『われらが <他者>なる韓国』の中で、かなり強い調子で、日本人と韓国人の顔を区別することは不可能なんだということを言っていたのが印象に残っている。
  • NHK教育の「NHK人間講座」で「大好きな韓国」という四方田さんの出演する番組(全九回)。テキストも発売された。

『ストレンジャー・ザン・ニューヨーク』 amzn

「見聞きしたかぎりの体験を再考し、経験として醸成する」/「一切をあえて秩序づけぬままに」

  • 巻頭には、ジャームッシュ「stranger than paradise」から「it's funny. you come to something new and everything looks the same.」という台詞がかかげられている。
  • この本も、『月島物語』や『われらが <他者>なる韓国』と同じく、そんなに長くないエッセイから構成されている(32本のエッセイ)。『朝日ジャーナル』での連載に、大幅な改訂を加えたものだそう。
  • 「一九七〇年代が終わろうとするころ、わたしはしばらくソウルに住んだことがあった。片言ながらも韓国語を勉強し、帰国後八年がたって、ようやく韓国について二冊の書物をまとめることができた。見聞きしたかぎりの体験を再考し、経験として醸成するまでに、それだけの時間が必要だったということである。ニューヨークについてはどうだろうか。いま、わたしはマンハッタンの西一五丁目、チェルシーとビレッジの境目あたりにある古ぼけたアパートにいて、充分に自分の知り得たことの意味を消化しえぬままに、それを書こうとしているのではないか、という心配に囚われている。だが、一方では、一切をあえて秩序づけぬままに、映画でいうならば、編集作業を経る前のラッシュの状態で読者の前に提出してみたいという誘惑にも強く駆られている。」
  • 四方田さんは、一九八七年四月から翌三月まで、コロンビア大学文学部比較文学科の特別研究員としてニューヨークに滞在した。
  • コロンビア大学の比較文学科といえば、サイード。彼についての話題も少し出てくる。「/えっ、サイードを知ってるって? サイードだってそういっているさ。だいじょうぶ、サイードがいるのだから。/ニューヨークで会ったアジア系知識人の口からはしばしばサイードの名前が出た。それも時に熱狂を込めて。彼らは別にパレスチナ問題にかかわっているわけでもなかったし、専門の比較文学者でもなかった。ただアメリカという地で、内面的にも外面的にも出自の国の文化と西洋文化との対決を迫られているうちに、自然と『オリエンタリズム』の著者に理論的な根拠を求めるに至ったのだ。」(「パレスチナを遠く離れて」)
  • もしかしてと思っていたら、最後になって、川俣正の名前も出てきた。同じアパートだったそう。(先日の川俣さんとティラバーニャとのcafe talkは、二人が始めて会ったのはNYだったという話からはじまった。)
  • ニューヨークで関係を持った、アジア系のアーティスト達について中心的に語ってきたこの本の最後の章(「アディオス」)は、四方田さんが住んでいたアパートのドアマンにスポットをあてて書かれている。次の部分なんてほんとにうまい。文中のホセとは、複数居たドアマンの中でよく口をきいた人物で、プエルトリコからの移民。「わたしの母が東京からぶらりと遊びにやってきたとき、玄関で彼女を迎えたホセの喜びようといったらなかった。ヨモタ、とうとうママが来たのか。よくやったじゃないか、といわんばかりの感激ぶりだった。一週間ほどして彼女が帰国したとき彼が見せた当惑の表情も忘れられない。いったい何が悪かったのだ、とホセは真剣にわたしに尋ねた。彼はてっきりわたしがこの土地で職を見つけ、家族を呼び寄せるだけの甲斐性をわがものにしたのだと錯覚したのである。この善良なプエルトリコ人にとって、ニューヨークはひとたび腰を据えればいかなる困難があろうとも留り続ける場所でこそあっても、気楽に立ち寄って去ってゆく観光地などではなかったのである。」(「アディオス!」)
  • 後記は、「一九八九年五月 於月島」となっている

『われらが<他者>なる韓国』 amzn

  • 平凡社ライブラリー
  • bk1で読めるこの本についての、野崎歓の書評
  • 最初から引き込まされる。「わたしはなぜ韓国を語るか」。だれない文章。
  • 小熊研で学んできたことも役立つだろうと思う。関係ないのだが、先日の小熊さんの授業で四方田さんの本にこんな話が出てきという風に名前があがった。外国人労働者の中に高学歴の人がいるという話の中で。話に覚えがあったので、『モロッコ流たく』の中の一幕だったろうか。
  • 「ソウル東大門のボエティウス」
  • 「遭遇を語ることの通俗性を自覚したうえでわたしがこれまで語ってきたのは、ほかならぬわたしを結び目として、アメリカの夢を信じる一人の韓国の初老男とボエティウスの思いもよらぬ遭遇が実現されたためである。」
    • ボエティウスはローマの哲学者(参考
  • 「タルチュムからマダン劇へ」
  • 彼が実際に体験したタルチュムの描写
  • 「六年が経過した」
  • 彼が実際に体験した金芝可(キムジハ)原作の「めし(パブ)」という劇の描写
    • いずれも描写も、かなり感動させられる。演劇的なものへのおどろき?、「上演時間が迫ってくるにつれて観客の数はいや増してきて、狭い場内に二百人を超えるにいたった。客層は学生が圧倒的に多いが、なかには灰色の僧衣を着た二人連れの尼僧の姿を見かけた。子供もいた。はやくも一触即発といった熱気だ。」
    • 「金芝可が釈放された日のことは、日本にいてよく憶えている。八十年の十二月八日だ。新聞には大きくかつてビートルズの一員だったジョン・レノンの死とトマソンの巨人軍入団とが報じられ、その隣に、いくぶん小さく「詩人金芝可氏釈放」という記事が載っていた。」
  • 「どうして韓国に行く気になったのですか」、1980年代初頭という時代ということもあってだろうか、韓国への渡航を決めた彼はそう繰り返し問われたそうだ。
  • 少しの議論のあとの、彼は書く。「わたしもまた、自分の限定された立場に立って、質問を試みることにしよう。&&あなたはどうして韓国に行かないのですか&&、と。」
  • この自分の立場の限定性については、次のような形でも書きつけられている。「韓国とは、韓国とつきあい語る主体の水準と状況に応じて、どのようにも存在している・・・(略)・・・本章を含む本書は、外国人教師にして映画愛好家の一日本人という角度からみた韓国の一段面であり・・・(略)・・・韓国を外側から、純粋な対象として自在にディスクールの内側で操作できると信じこんだとき、語る者の失墜が始まる。」

『モロッコ流謫』 amzn

  • (新潮社)
  • 『月島物語』にはまって、四方田さんの本を色々読みたいと思って読む。

『月島物語』 amzn