橋本治

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中身を読んでみて初めてこの本がなぜこのようなタイトルを持つのか理解できるだろう。「人」って語が入っているのも重要だし、美でも美しさでもなく「美しい」という語でなければ話にならない。美しいが「」で括られているのは、強調の意味もあるだろうが、この語の後の省略、例えば、美しい「と思う」、というような語の省略を示しているのではないか。そして、何かを「美しい」と思うのは、「人」が、である。「人」という主体があって、その人が何かを「美しい」と思う、その働き・力、その力を支えるものは何か、そこらをこの本は扱っていると言えよう(・・・というまとめは不十分)。

  • 自身の体験について語っている部分。子供の頃の体験、大人になってからの体験も
  • 子供
  • 美しい、と合理的なものの関係、のとこ。その議論の展開
  • 教育について
  • 橋本さんの『ひろい世界のかたすみで』(マガジンハウス, 2005)の中に、「美しい」が出版された時に出版元の出しているPR誌「ちくま」(2003年1月号)に書かれた「try to remember」というテキストがある。これを読んで、なんというか、贅沢な気分になった。「トライ・トゥ・リメンバー」というなんとも印象的な言葉は、「美しい」の中には出てこなかった表現である。しかし、この言葉やそれをタイトルに掲げたこのテキストは「美しい」という本(そこで言われていること、その豊かさ)を再認識また再体験させてくれる。『ひろい世界のかたすみで』という本は、各章のタイトルに日本語と英文が並記されている。この「try to rememer」はこの文章が含まれる章のタイトルであり、その日本語タイトルは「個人的な歴史」である。こういう連関のすべてが「美しい」という本の理解を助けてくれるだろう。いや、「理解」という言葉というより、ああ確かにここで書かれている事は私もまたよく知っていたことなのだよなあ、という感じを得るのだ。
  • 佐々木健一『美学への招待』の巻末「読書案内」で「他の入門書」の一冊としてこの本が紹介されている(以下引用)=「プラトン以来、美は愛と相関的なものとして語られてきました。しかし、そのことは、ごく表層的にしか、あるいは観念的にしか理解されていないように思われます。それと同じテーゼを、まったく独自の経験のなかから主張した、驚くべき本です。もっとも、わたくし自身は、その主題の部分については、実のところ共感(あるいは端的に理解)しているとは言えません。しかし、とくに初めのに章に書かれていることは、哲学的美学の考え方と符号するところも多く、わたくしも同感するところが多々あります。そのような思想を経験の言葉として語っているところが、この本の強みです。」