橋本治関連のノート
目次
個々の著作メモ †
『人はなぜ「美しい」がわかるのか』 †
- 単行本は現在のところ6巻まで出ている。
- 『芸術新潮』で1993年から連載。2005年11月号で最終回を迎えた。ちなみに、第一回は埴輪を取り上げた「まるいもの」で、最終回は亀倉雄策の東京オリンピック・ポスターを取り上げた「卒業式のようなもの」。|「デザインというのは、実のところ「物のあり方を決める美術」だ」。デザインにはその背景となる「ある把握」がある。全般的な話として、美術の世界・美術史における作家性の問題(近代における「作家性の袋小路」)。作品。作品の向こうにいる作者、そして作品の向こうにもいる我々
- 最終回で取り上げられたのが、橋本さんが中学生の時にリアルタイムで見て、何かを感じたものだった、というのは、この連載(ていうか、橋本さんの批評、と言ってもいいか)にとって象徴的かもしれん。
- 「安治と国芳――最初の詩人と最後の職人」
- 「"風景画を持つ""自分達の風景画を持つ"ということの意味」「そこにある、自分たちを取り囲む情景を愛する」「自分たちの存在自体を愛し肯定する」「自分達を取り囲むものがそんなものだったのかという認識、こんなものであってほしいという願望が、それに取り囲まれた"自分達"なるものの存在を明確にする」「そういう形で存在していたのが、多分江戸の風景版画なのだ。江戸の風景画はそのようにして完成し、存在してしまった」「"その情景の中に生きる者"と風景画との間に幸福な循環」(p.341-2)
- 「ただの、"他人の観光地"」「やって来た観光客はただ「へー」と言うだけだ」(p.342)
- 安治の師匠=清親
小林秀雄の恵み †
- 『新潮』2004年1月号, 4月号, 7月号, 10月号/2005年1月号, 4月号, 7月号, 10月号/2006年1月号
未整理メモ †
- 大人/子供
- 個性
- ~が~である、ということ
- ~がそのように見える、ということ
- (目で)見る、ということ
- モノの見方
- 自分の好きなもの
- それが好きかどうか? という判断
- 関係がない/ある
- 分かる、ということ
- 説明をあたえる
- (そう感じていたところの)自分にとって(だけ)の説明
- ……と思うというような感覚的な、思い
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