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生と病の哲学 生存のポリティカルエコノミー     倫理学 (ブックガイドシリーズ基本の30冊)



  • 以下のリストは更新を停止しています。最新、最近の情報については、小泉さんの大学のサイトなどをご覧になるといいかと=こちら 先生の講義ノートなども公開されています。

最近のお仕事

  • 『週刊読書人』2006年5月26日号に浅野俊哉『スピノザ―共同性のポリティクス』の書評が掲載
  • 【番外】檜垣立哉『生と権力の哲学』(ちくま新書)の読書案内の所で小泉さんへの言及
  • 【番外】加藤秀一「現象学」にデカルトの話の所で、小泉さんの名前・『兵士デカルト』への言及がちょこっとある。個人的にも小泉さんのデカルトへのこだわりは何だったのかまた知りたくなっている。
  • 『文學界』2006年6月号に阿部和重『プラスティック・ソウル』の書評が掲載
  • ちくま新書から『病いの哲学』が4/7発売。単著は2003年の『生殖の哲学』から出てなかったから三年ぶりくらい
    • [1:プラトンと尊厳死―プラトン『パイドン』][2:ハイデッガーと末期状態―ハイデッガー『存在と時間』][3:レヴィナスと臓器移植―レヴィナス『存在の彼方へ』][中間考察:デリダ][4:病人の(ための)祈り―パスカル、マルセル、ジャン=リュック・ナンシー][5:病人の役割―パーソンズ][6:病人の科学―フーコー]
  • 【番外】稲葉振一郎『モダンのクールダウン』第七章「「動物化」論の着地点」で小泉さんへの参照あり
  • 「脳理論の創始者としてのデカルト──原典からの読み解き」 『科学』2006年3月号(2月24日発売, 特集=意識・脳・身体の接続へ──デカルトの夢と最新脳科学) p.264-268/「現在の脳科学と脳理論は,デカルトが切り開いた地平で発展し,デカルト自身が気付いていた難問に出会っている.デカルトが脳理論を創始した次第を振り返る.(小泉義之)」
  • 『RATIO』1号ってのに「自爆する子の前で哲学は可能か-あるいは、デリダの哲学は可能か?」ってのと郡司ペギオ-幸夫との対談(生物学と哲学を越境する渾身対談/物語をやめよ!=[生きる]ことの哲学を構想する)が掲載されるみたい(情報がこちらに)
  • 『談』 no.74 特集=ゾーエーの生命論 金森修との対談「いのち、ゾーエーとビオスの狭間で」


  • 【番外】『サイゾー』 2006年1月号に掲載分の山形浩生連載「山形道場」に小泉さんに対するツッコミあり(「中身のない「奇跡」を願う人たち」)。稲葉振一郎「インタラクティヴ読書ノート別館の別館」、こちらでの稲葉さんによる小泉論文へのコメントを受けて書かれています。今回の山形さんのコラムに対する稲葉さんの反応がこちら(「書きものの範囲でぼくがやった小泉義之批判」の紹介もあり)
    • でも、小泉さんへの批判が主というより、稲葉さんへの言及って感じかな。稲葉さんのサイトへの言及ってことでもあって、ちょうどあそこは色々な議論が行われていたところだし。
    • これまでの稲葉さんによる小泉さんへの言及はここらから見ればいいかと、結構あります。
  • 『文学界』 2006年新年号に茂木 健一郎『クオリア降臨』の書評が掲載
    • この本は『文学界』で連載されていた文学論なので、書評のかたちではあるけど小泉さんが久しぶり(かなー?)に日本の文学について触れている。柴崎友香の名前が出てくるのがうれしい(まあこれも茂木さんが取り上げているからだけど)。ところで、小泉さんの日本文学についてのテキストというと同じ『文学界』で連載された「文学の門前」があるが、未だに本になっていない。文芸時評的にその時に出ている作品について取り上げた連載だったので、今になってそれも単独で本になることはないのかもなあ。
  • 『週刊読書人』 2005年11月25日号にジョルジョ・アガンベン『残りの時 パウロ講義』『バートルビー―偶然性について』『?神』の書評が掲載。
    • 冒頭を引いてみると=「アガンベンは一級の学者である。引き合いに出す失礼を許していただきたいが、坂部恵・丹生谷貴志・田崎英明の三氏を合わせて三で割った人というのが、私にとってのアガンベンのイメージである。アガンベンは、古代ギリシア哲学や近代ドイツ観念論に匹敵する現代フランス哲学思想、これの最良の批判者であり遺産継承者である。」
  • 『図書新聞』 2005年10月22日号にビル・マッキベン『人間の終焉』 の書評が掲載|追記:この書評がこちらに転載されていた
  • 『談』 no.74 特集=ゾーエーの生命論 に金森修との対談「いのち、ゾーエーとビオスの狭間で」が掲載
  • 『現代思想』 2005年10月号 特集=宇宙論との対話 に「神の存在証明と宇宙の存在証明」が掲載
  • 村上勝三編『真理の探究―17世紀合理主義の射程』に「思惟する魂――機械・作品・マテーシス」が収録
  • 『情況』2005年9月号別冊「レーニン再見」に「無力な者に(代わって)訴える」が掲載/
  • 『現代思想』 2005年8月号 特集=靖国問題 に「贖罪の時」が掲載
  • 『西田幾多郎』に檜垣立哉との対談「西田から「哲学」を再開するために」が掲載。
  • 「不自由を解消しない自由」@『神奈川大学評論』 第50号
  • 「ゾーエー、ビオス、匿名性」「生存の争い」(立岩真也との対談)@『生命の臨界』 どちらも再録モノだが
  • 「二つの生権力」@『生命の教養学へ』
  • 『図書新聞』 2005年4月2日号 メアリー・ローチ『死体はみんな生きている』の書評
  • 『文学界』 2005年3月号 内田樹『他者と死者―ラカンによるレヴィナス』の書評/小泉さんには『レヴィナス―何のために生きるのか』 [2003]という著作あり
  • 『ユリイカ』 2005年2月号 特集=ギャグまんが大行進 「モグラとサルの闘争―古谷実の反ブルジョア精神」
  • 『現代思想』 2005年2月号 特集=脳科学の最前線 「脳のエクリチュール―デリダとコネクショニズム」
  • 『文学界』 2005年2月号 特集=映画の悦楽 「アンダークラスのエクリチュール」 『8Mile』 について書いてはる。


onlineで読めるテキスト

著作

小泉義之の『ドゥルーズの哲学』に対する批判 http://www.math.tohoku.ac.jp/~kuroki/keijiban/Kuroki.html#koizumi

「文学の門前」

『文学界』 2002年2月号~2003年1月号で連載

  • 第一回 「なぜ、子供を作るのか――受肉の文学のために」 佐川光晴『ジャムの空壜』
  • 第二回 「村上龍の困難――未来の書法のために」 村上龍『最後の家族』
    • タイトルの解釈、あらすじ/【社会学的な読解】「家族の本質的機能が子どもの社会化」→「ある一つの家族を終焉さるのは」=「子どもの社会化」→「後に残るのは人間関係だけ」=「子どもが女や男になった後に残るのは、女(男)好きと婚姻関係をどう組み替えるかという問題だけ」/『最後の家族』の大半はこの読みでさばけるが、結末はそうは読み流せない。→結末部のあらすじの書き下し→「ここでは、何が起こることになるのか。いかなる出来事が到来すると表現されていることになるのか。」という読み→結末部で示された家族構成員それぞれの意志の意味を書き下し→「『最後の家族』の結末は、事件を物語るというよりは、到来する出来事を表現しようとしている」「ある一つの家族の終焉という事件を物語ることを通して、家族の終焉という出来事を表現しようとしている」/それは、「危機を好機として意知すること」「危機を希望として意味すること」の文学的な表現である。←魂の意志は「事件を望むのではなく」、「事件の中にある何か」(=「出来事」)を望むという、ドゥルーズの議論(『意味の論理学』「第21セリー」)を参照
  • 第三回 「薬の戦争――バイオの文学のために」 三浦俊彦『サプリメント戦争』
  • 第四回 「誰か死ぬ、私が残る――反復の文学のために」 金井美恵子『噂の娘』
  • 第七回 「愚劣なエコノミーの抗して――歓待の文学のために」

生殖の哲学

ドゥルーズと「自然」

  • 『情況』