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[ 読書メモ/記録:2008年03月分 ]


  • 柳下「シネマ・ハント」 1600字ほどのコラムが101本.掲載されてきた雑誌は,エスクァイアだ.一つ一つのコラムの奥に,持続する(映画についての)思考が感じられる瞬間がある.1600字という文字数や,カルチャー誌という掲載媒体の性質からいっても,その思考が大々的に展開されるわけではないが,だからこそ感じさせるものがある.膨大な作品に向き合っていく,その一本一本に取り組んでいく感じ.ものを考えることってこういうこと,と思われるような. →amazon
  • ヒップホップ・ジェネレーション 原著=Can't Stop Won't Stop : A History of the Hip Hop Generation
    • 「The new culture seemed to whirl backward and forward-a loop of history, history as loop-calling and responding, leaping, spinning, renewing. In the loop, there is the alpha, the omega and the turning points in between. The seam disappears, slips into endless motion and reveals a new logic-the circumference of a worldview. 」 144
    • 「Whether you're logging in under a new name, or you're a Dj trying out a new persona, the logic is an extension rather than a negation. Alias, a.k.a.; the names describe a process of loops. From A to B and back again.」 Paul D. Miller(DJ Spooky) 《Rhythm science》より
    • 「The Other Side of the Sixties The story of the Bronx gangs is a dub history of 1968 through 1973, the other side of the revolution,the exception that became the rule.」 85
    • 「The 1960s, as the hip-hop generation would so often be reminded, were a great time to be young. The world seemed to shake under young feet so easily back then. The revolutionaries expected the whole world to be watching and when they were given the spotlight, they cast a long shadow. 」 127

シーダ・スコッチポル「失われた民主主義―メンバーシップからマネージメントへ」

  • (シーダ・スコッチポル著,河田潤一訳,慶應義塾大学出版会、2007) →amazon
  • (原著=Theda Skocpol Diminished Democracy: From Membership to Management in American Civil Life,2003) →amazon
  • アメリカの市民社会
  • (自発的)結社,全国的展開・階級横断的なメンバーシップ,全国的な公共生活
  • ↑変化↓
  • 専門家が運営する市民組織の台頭,専門的に運営されるアドボカシー・グループ,非営利組織
  • 「市民的積極参加の政府の,政治的な源泉の過小評価」の傾向,「あらゆるタイプの同時代の著者が,地元のコミュニティを取り上げ,「政府の活動,そして大規模な政治組織の活動」は,健全な市民社会にとって,「……よくて的はずれ,下手すれば有害だ」と考える」,パットナムは「市民的積極参加」について議論しているが――そこでは「繰り返される対面での交流」が重視される(彼は「そうした交流が信頼と協力をほかに例を見ないほど促進すると信じているから」,そこから導き出されるのは「対面的な集団交流が活発であるほど,そうした国に生活する国民は,より健康になり,政府と経済もより効率的になる」というような考え)
  • リベラル派や穏健なコミュニタリアンの市民社会論でも―パットナムのものとは違うものの―「地元コミュニティ,家族,友人,隣人間の交流を彼と同じように特別扱いしている」
  • そこには「政治やナショナルな政府から市民的積極参加を切り離す」傾向がある,そこには「大規模で中央集権化された連邦政府」とそれに対する「「自然な」草の根コミュニティ」というような二項対立的な捉え方が見出される
  • スコッチポルはこれを「非政治的な草の根地域第一主義[シビック・ローカリズム]」が強調されすぎている事態とみなす,そして過去を振り返りトクヴィル(1830年代に彼が書いたアメリカへの旅行記)を参照しながら書く
  • トクヴィルは「活発かつ民主的な政府と政治が参加的な市民社会を活性化し,補完すると信じていた」/トクヴィルが見たような「民主的社会の十分に発達した時代のアメリカ」では「「民主政治」は「社会全体に倦むことのない活動力……,エネルギーを行き渡らせ」,「政治的結社」は「そこに来て国民の誰もが結社の一般理論を学ぶ」「偉大な学校」であった」」.だが,「これとは対照的に,二一世紀初めのアメリカ人は,失われた民主主義の中で」「非参加的で,より少数の者が運営する市民社会に生きている」.そして,「さらに厄介なことに,多くの思想家が,アメリカ人が今日直面している市民の挑戦を誤診している」.というのは,「彼らは,全国的なコミュニティ,積極的政府,そして民主的な動員が,活発な市民社会の創出と維持にきわめて重要だということを忘れているのだ」.「過去のアメリカ民主主義の真の教訓が,視界から消えつつあるのである」.
  • ◎「本書は,アメリカ合衆国における民主主義の政治と草の根ボランティア主義の相互影響に関して大きな物語を語るものである.合衆国の誕生から現代までの結社の立ち上げと市民的リーダーシップのパターンについての鳥瞰図を提供」
    • そこで,保守派・リベラル派双方の考えに対して挑戦するところがある:「保守的な推測に反して私は,アメリカにおける草の根ボランティア主義が主としてローカルであったことは決してなく,全国的な政府や政治と切り離されて隆盛したことも決してなかったことを実証している」/「私はまた,アメリカ市民社会が一九六〇年代以降着実に実に民主的な歩を進めてきた,と信じるリベラル派の言い分にも挑戦する……リベラル派は,現代のアメリカ民主主義のほとんどすべての健全な発展を,六〇年代の公民権やフェミニズム運動,少数民族の権利や公益目標[コーズ]を主張するさまざまな運動に帰責化する傾向にある.もちろん,これらの運動は,重要な民主的願望を表現し,十全な参加を阻害する壁を打破し,新しい争点を公的課題に載せた.だが,一九六〇年代,七〇年代のこうした社会運動は,不本意にもナショナルな市民社会を,専門家が運営する結社・団体が増える一方で階級横断的な会員を基盤とした結社が退潮する社会へと再編成する引き金となった」+「現代のアメリカの市民社会を支配する専門家が運営する組織は,自分たちが席を奪った六〇年代以前のメンバーシップ連合体に比べて,いくつかの重要な点で民主的でもなければ,参加的でもない」.
  • 【研究・執筆の方法】本書は「アメリカ史をはるか過去にまでさかのぼり,合衆国がメンバーシップ基盤の結社の組織者,結社好き[ジョイナー]の国に,国の誕生この方なりえた特定の時期の社会的・政治的な条件の意味を理解するために,長期的な歴史の過程をたどろうとするもの」,「私の分析にとっては歴史が重要であるが,その理由は,歴史がそもそもおもしろい――確かにそうだが――ということからだけではなく,歴史的な視座を広げると,市民的変化が現れては廃れる特定の時期の社会的,制度的な文脈全体がよりよく見えるようになるから」/「近年のスナップ写真」に頼るような立論を避ける
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