美学
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- 岡崎乾二郎 『ルネサンス 経験の条件』 [2001]
- 松浦寿夫・岡崎 乾二郎『絵画の準備を!』(朝日出版社, 2005, 装幀:岡崎乾二郎+エンガワ)
- 演劇生、没入、平面性、絵画という形式を統合する概念、制作、現在、時間、瞬間、対象、視覚、
- 西村清和 『現代アートの哲学』 [1995] 哲学教科書シリーズの一冊。佐々木・美学への招待でも、Further Readingsで第一に挙げられていた。確かに似た感じの本(こちらが先に出た本だが)。
日本美術
- 日本美術館(小学館, 1997)
- 「カラー図版と短い解説を見開き二頁単位で分厚い一冊に構成したもの。日本美術史をざっとたどるのに便利で、近現代に多くの頁を割いているのが特徴。」(佐藤康宏「もっと日本美術史について知るための文献案内」, 辻惟雄『日本美術の歴史』 )
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- 趣味
- 「一八世紀にあって、ひとが芸術作品を、それにふさわしく享受するための美的能力は、「趣味」と呼ばれた。趣味という概念もまた、近代の所産である。」(教科書 p.25)/「趣味の陶冶とは、あるべき人間へとたかまる自己形成である」(教科書 p.26)
自然
身体
- 美の規範(高貴と卑俗、高級と低級、真性とキッチュ、よき趣味と悪趣味)(教科書p7)
- (芸術の)あるべきすがた
- 天才、芸術家による創造
- 精神、自己表現(享受者を想定すると、「作品を介しての(芸術家の)精神と(享受者の)精神の交感」―「精神の美学」)
- 作品(という概念)
- 「かつて絵画や彫刻は、新田や教会の祭壇、また宮殿を荘厳するものとして、共同体のコンテクストにおかれ、画家や彫刻家の職人技も、これら宗教的な権威や政治的な権力に奉仕するものであった。だがいまは作品は、その作り手である芸術家の、その独創と天才において他に際だった精神にひとしい存在として、それにとっては外的な社会的コンテクストからいきなりはなされて、それ自体一個の自立した存在として自己を主張する。享受者もまた、いっさいの社会的な、あるいは実用的な関心とはかかわりなく、カントのいう「無関心性」においてなりたつ純粋に美的な観照において、よき趣味をそなえた一個の精神として、作品にむきあう。」(教科書 p.25)
- 制作
- 芸術の制作、「絵筆や鑿をあつかう個々の手段と、これらを一定の「術(すじみち)」にそって組織立てる「手順」と」(教科書 p.29)の区別。
memo
安西信一 『風景式庭園の美学―〈開かれた庭〉のパラドックス』 [2000]
- イギリス風形式庭園
- その最も基本的な制作プログラム=庭園を外部の自然に<開く>
- シヴィック・ヒューマニズム(的公共性)・・・ピューリタン革命後、イギリスでも支配的になった
- シヴィック・ヒューマニズムは政治=道徳的言説・・・庭園論の持った政治性・道徳性
- 勤勉・改良・有用性
- ←→公的善への顧慮をかき、私的利害への閉塞を示す反=庭、伝統的な<閉ざされた庭>
- 公共的活動世界へと<開かれる>こと重視する
- +文字通り現実に、外部の来訪者へと開く(水平方向に拡大)
- イギリスを「神の庭園に」|復楽園(千年王国論的構想)
- 農業的収益や道徳的感化等の公共的有用性
- 伝統的貴族的シヴィック・ヒューマニズム/ブルジョワ的シヴィック・ヒューマニズム
- ハートリブ・サークルの農業=庭園論
- 庭園は園芸や植林を含む広義の「農業」に包摂される
- 囲い込み(エンクロージャー)を手段として改良<-<閉ざす>
- 庭園の私的隠遁における観想/エピクロス主義的「快い隠遁」(「伝統的に庭園は、隠遁と観想的生活の場であった。しかしピューリタン革命以降支配的なシヴィック・ヒューマニズムは、公共善にむかう活動的生活を優先する。そこで庭園における隠遁と公共的活動との関係が、つねに問題化したのであった」p.109)
- 土地私有、エンクロージャー(土地を囲う、閉じる)
- ブルジョワの利益追求と地主エリートの土地所有
- 快、庭園で得られる快、美的快、想像力の快(美的芸術的快)
- 美と有用性/道徳性。
- 活動的生活と観想的生活
- 私的な体験/「公共的「労働」世界から隔絶された」?