People/吉田修一

場所、空間

  • 日比谷公園(地図
  • 宇田川夫妻のマンション
  • ぼくの(狭い)アパート
  • (市ヶ谷の)フィットネスクラブ(p.49、)
  • 最後のギャラリー
  • 地下鉄車内
  • 公園に接続された地下通路

  • ぼく
  • 電車の中で間違って声をかけた(彼)女、あなた、「名前はしらない」
  • 宇田川夫妻
    • 「宇田川夫妻は現在それぞれの理由で言えを出ている」(p.12、)
  • 同僚の近藤さん(p.14、)
    • 「近藤さんは基本的にぼくの苦手なタイプだ・・・まったく同じ理由で、ぼくは彼を好いてもいる」)
  • ひかる(p.27、)
  • もう一人の近藤=高校の同級生(p.53、)、なぜわざわざ同じ名前?
  • 公園で気球を上げている男=「私たちの先輩」
  • 健康広場で出会った男
  • 公園の浮浪者(「ぼく」の使っている毛布と同じものをかぶってベンチで寝ていた。足だけが見える)。

イメージ

  • 俯瞰
  • 見ること、見られること、見えるもの、見えないもの
  • 内と外
  • 光と闇、光から闇へ、闇から光へ
  • 身体、肉体
  • 言葉
  • 音があるTVと音を消したTV(p.56)
  • これらのイメージは、お互いに連関させて描写されるものもある

  • 日比谷公園が舞台。「パーク・ライフ」と題されるが、一般としてのパーク=公園を扱った小説ではない気がする。公園といっても色々な種類のものがあるし、日比谷公園という公園はその中でも、特にその立地ということから、特殊なものではないだろうか。
  • 視界が、複数レイヤー(近景、中景、遠景)によって構成されていること。(吉本隆明「ハイ・イメージ論」も参照)
  • 「ぼく」は、はじめ公園を上から俯瞰して眺めたい欲望を理解しない(「ぼく」はそれに「なぜ」と問いたくなる)。「女」はどうだったか。飛ばされる小さな赤い気球。気球を飛ばす男のその欲望はまだ充足されていない。
  • しかし「ぼく」は、夜の公園で、俯瞰のイメージを思い描く。頭の中で思い描くことと、映像で見ることに何か違いはあるのだろうか?
  • 料理のタイトルのないレシピ。それにしたがって作る料理。体の中。
  • 「ないものをそこに思い描く」。
  • 公園の中に、顔を伏せ気味で入っていき、ベンチのところまでいく。そこで「買ってきた缶コーヒーを一口だけ舐め」、「数秒眼を閉じ」「ゆっくり深呼をし、あとは一気に顔を上げて目を見開く」。
  • 『パレード』では、演じることが扱われていた。公園は「何もしてなくても誰からも咎められないだろ。逆に勧誘とか演説とか、なにかやろうとすると追い出されるんだよ」。「追い出される」?
  • からだについての話が、家の話につながっていくところがある。移植で、自分の臓器や眼球がいつか他人の物になる可能性を考えたときに、「自分のこのからだが、借り物みたい」に感じる。「借り物かぁ……、ほんとよね。外側だけが個人のもので、中身はぜんぶ人類の共有物。ちょうどマンションなんかと正反対。マンションは中身が私物で、外は共有だもんね」
  • 「マンションという言葉を聞いて、宇田川夫妻宅を思い出した。現在ぼくは夫妻宅で寝起きし、その夫妻はそれぞれ別の場所で生活し、主が留守中のぼくの狭いアパートでは、上京中の母が羽根を伸ばしているのだ。」

言葉と体

  • 日本臓器移植ネットワークの広告『死んでからも生き続けるものがあります。それはあなたの意思です』、「死んでからも生き続ける私の臓器」
  • 「昼間の賑わいを、行き交い会う人々の姿を浮かび上がらせてみようとするのだが、なかなかその像が結ばない。ないものをそこに思い描くのは得意であるはずなのに、どんなに意識を集中させても、誰ひとりとして夜の広場に浮かび上がってこないのだ。ただ彼らの声だけがかすかに聞こえた。これまでにこの広場で耳にしたはずの会話、・・・(中略)・・・、誰もいない夜の広場に言葉だけが蘇る。まるで彼らの言葉だけが、昼間この広場にあふれ、休憩をとっていたように。」
  • 「テレビのボリュームを上げていれば、ビン・ラディンもブッシュもパウエルも、シャロンもアラファトもニュース解説者も、難しい言葉を並べ、あたかもその言葉が思考を生んで、生まれた思考で何かが起こっているように思えるが、その音を消してみれば、人間の思考などどこにも見えず、ただ歩き、座り、横たわる人間のからだしか映っていない。ビン・ラディンの痩せたからだが、何か悪さをするとは思えなかったし、健康的なブッシュのからだが、逆に何かを解決できるとも思えなかった。音のないニュース映像では、なぜかしら、からだだけが不当な被害を受けているようだった。」(p.57)

  • 「なんで? って訊かないんだったら教えてやるよ」

身体

  • 彼女が腕を組んでいるせいで、彼女が一歩前に出れば、自然とぼくも男の前に出てしまう。
  • 心字池を見下ろす崖上
  • 俯瞰する映像、「公園を上空から見たいって気持ち」、「彼は上空からこの公園を見たいらしかった。将来的には気球のケージの底に小型カメラを取りつけ、真っ直ぐ空へ上げる。カメラからの映像はモニターで見ることができる。/「ぐんぐん上がっていくんだよ。最初は足元だけしか映っていないのが、ぐんぐん上がって、まずは噴水広場全体が映って、最後はビルに囲まれたこの辺りいったいがこのモニターに映るんだ」
    • 公園の俯瞰イメージと身体との重ね合わせ、「ふと、赤い気球が目に浮かんだ。この噴水広場を離陸した気球が、ぐんぐんと高度を上げて、公園全体を俯瞰しはじめる。上空から見れば、公園は縦長の長方形で、ちょうど人体胸部図のように見える。心字池がその形のとおり心臓の位置にある、・・・(中略)・・・第二花壇は膵臓になる。上空からは園内をうろつきまわる人々の小さな姿も見える。大勢の人々が細い小路を抜け、噴水広場を横切り、あちこちの出口から外へ出てゆく。まるで汗のように、人々は園内かなあふれでる。」
  • (不)自然、「お互いにここで相手の職業を尋ねるのが自然だったのだが」、猫背や反り身、極端なイカリ肩の体型に合わせた服をつくり、それらの服を標準的な体型の人が着ると、その不自然な歪みがとてもエレガントに見える

夜の公園(p.53-)

  • 昼と違う。無人のベンチに囲まれた噴水広場の広がり、無気味。そこで昼の公園を想起しようとするが、失敗する。
  • また、公園の中のいつもいかない場所に行くシーンもある。
  • 平凡な風景写真の展覧会
  • ギャラリーの狭い階段を、肩を並べて上がる。彼女が途中で立ち止まる、少しの(時)間、彼女の決断、階段を駆け上がる、「賑やかな表通り」、「今まで見ていた風景写真のすべてが、目の前でとつぜん動き出したようだった。」。なぜ、ぼくの風景まで変化するのか? 「まるで自分まで、今、何かを決めたような気がした。」
  • 初めて公園の外で別れる、二度と合えない気がする。呼びかけ。


  • 『論座』( 2002年10月号)中条省平の時評で紹介(「宮崎駿と養老孟司の対談集が現代の人間嫌いについて語っている。人間から離れてまなざしに徹する吉田修一「パークライフ」が芥川賞を受けたが、同じ主題を扱う古谷実のマンガ『ヒミズ』に遠く及ばない。」)