[ 松山巌 ]



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  • 以下は過去の情報.こちらも新しいページに編集予定です.

[書評]ベスター『築地』

  • 少し前ですが『論座』2007年8月号で,テオドル・ベスター『築地』の書評を執筆されていました.ちなみに,松山さんも執筆陣の一人である『AERA』誌の書評欄では,山形浩生がこの本を取り上げていました(こちら).

エセー「つまらぬ詐欺」

  • 『文学界』2007年11月号に掲載

『週刊ブックレビュー』で特集

  • NHK BS-2『週刊ブックレビュー』(2007年09月30日放送,再放送:2007年10月01日)で「最新刊『猫風船』を語る」という特集が組まれた.「作家の松山巖さんをお迎えして、掌篇小説集『猫風船』を中心にお話を伺いました。「真っ赤な、大きな舌が空中からペロリと垂れ下がっている。なんてことだ、空がアカンベーをしている。」と始まる「アカンベー」以下41篇。21世紀の内田百閒とも評される、都市の路地裏に棲みついた小さな異世界を描く筆致の秘密を、作者ご本人が語ります。」

『猫風船』書評

「建築の新しさとは何だったのか」

  • 「横浜国立大学大学院/建築都市スクール”Y-GSA (Yokohama Graduate School of Architecture)”」の市民公開講座「横浜建築都市学」として,講師:松山厳(作家、評論家)/司会:飯田善彦で行われたらしい(情報).知らんかった.聞きたかった.再開発/都市のリニューアルのまっただなかのあの場所で,松山さんは何をしゃべったのか? 誰か聞きにいっておられないかな? 追記:こちら

新刊=『猫風船』

  • みすず書房より2007年6月15日発行予定.これは,『みすず』での連載「路地奇譚」の単行本化なのかな? そういえば最新号の5月号にはこの連載載っていなかった(でも,その前の号に最終回ともなかった)./みすず書房のページに今載っている情報は=「四六判 タテ188mm×ヨコ128mm/168頁|定価 2,520円(本体2,400円)|ISBN 978-4-622-07306-2 C0093」.追記:ちゃんとみすずのページに情報がありました(『みすず』5月号についての記述)=「松山巖「路地奇譚」は、今月号は休載します。じつは昨年度までの連載を、構成を一新のうえ、訂正・加筆の真っ最中。題して『猫風船』(6月下旬刊行予定)。どうぞお楽しみに。」
  • →amazon
    • 「内容紹介:林立する超高層ビル群の下、都心の日常はなんだかおかしい。路地には乳房そっくりの花を咲かせた「ヒトデナシ」(?)。カレーの匂いが漂うやたちまち姿を現し駆け抜けてゆく「消防団」。平均年齢75・56歳、パジャマ姿の老人ばかりが憩う「ホホエミ食堂」。東京ウォールの汐留シオサイト一帯は、色あざやかな熱帯植物に覆われて、ビルも人もくにゃくにゃ曲がり出す。そのほか背丈20センチ足らずの凶暴ゴジラ、用途不明のロボット、飛べない酒好きのデブ天使も続々と登場。ちょっとウツな「私」の前に春夏秋冬、四季おりおりに開き出される異界の時空間。いや、ついには季節そのものも乱れ始めて「私」は・・・。/月刊「みすず」の好評連載「路地奇譚」を構成一新のうえ大幅加筆、『乱歩と東京』『闇のなかの石』『群衆』『日光』の著者が放つ異色の連作掌篇小説全41篇。ユーモアたっぷりブラック満載、これは内田百ケン『冥途』21世紀版ともいうべき「東京奇譚集」です。」

『日経アーキテクチュア』2007年5月14日号

  • 特集=「建築を元気にする18人の提言」の「都市のヒント」というセクションに登場.このセクションの人選は,日経アーキテクチュアらしくない(ってよく知らない雑誌だから想像だけど).松山さんに加え,阿川佐和子,都築響一,高野文子が登場している.今まであまり意識したことはなかったが,「都市」って話になると「文系」になるのだろうか.誰かの趣味?って言いたくなる人選だが,実際同じ記者が担当.佐野由佳という人で,検索してみたら『室内』の編集者だった人らしい.なんとなく納得.同特集の小田和正×藤森照信の同級生(東北大での学部時代)対談もこの人が担当.
  • さて,松山さんの記事について.分量は見開き一ページ.この特集のフォーマットとして,一人一人の「提言」が記事の本文と別に掲げられているのだが,松山さんのものを以下抜き書き=「自分の能力を発揮しようにも,そういう仕事ができない状況がどこから来るのか,建築家はそれを知ることから始めなければ先には進めない.」
  • 本文では,ここのところの東京の,超高層ビルがぼんぼん建ち&まだまだぼんぼん建つ計画がある状況も問題にされている.昨年の『前川國男――現代との対話』に収録されたシンポジウムでの発言でもこの話はされてましたね(ここらの状況/またその分析については,平山洋介『東京の果てに』が参考になる.松山さんが編集委員をされ,ご本人の執筆も予定さている,NTT出版の「日本の<現代>」シリーズの一冊である.同書のあとがきによると,平山さんが執筆者として選ばれたのはやはり松山さんの推薦だということだ.個人的な関係はないらしいが.)

「半歩遅れの読書術」

  • 何ヶ月か前に『日本経済新聞』の上記コーナーに登場されたらしいので,また確認します.続けて何度か担当するようなコーナーみたい(3/11, 3/18あたり)

『考える人』2007年春号

  • 特集=「短篇小説を読もう」 の「アンケート わたしの好きな短篇3作」に登場

『建築批評 土版』

  • 今年も出たみたい
  • 「松山巖/批評は役に立たないのか、小林一行/ブガンダ国王の墓、藤江保高/ウシの園、城市奈那/サン・クリストバル厩舎、會田涼子/飛行機十二時間で三五〇年を駆けのぼる、堀江康介/根本中堂の闇、芦原湖子/ホテルオークラのメインロビ-、鈴木隆史/身体的分裂症、新雄太/青森県立美術館、袴田早矢香/空っぽのなかみのこと、水野直子/拝啓 ダニエル・リベスキンド様、河野真郷/オートバックスに見るクルマ社会、平井太郎/家族たちの住みか。松山巖の授業に集まった12人の小さな本。」(こちらより)

座談会 「場の論理」について―場所に建つ建築

  • 『住宅建築』2007年1月号(特集=内藤廣の風景論(グラウンドスケープ)へ―時間を胚胎する住まい)の上記座談会に参加されている.他の参加者は,内藤さん自身,益子義弘,平良敬一となっている.

『すまいろん』2007年冬号

  • 「私のすまいろん:子どもが子どもで,町が町であった頃」が掲載

~2006

  • 「掌で陽だまりを掬うように-吉村順三の方法」
  • アエラで書評連載をされています。四週間に一回回ってくるのかな。 関連ソース 追記:この書評欄は2007年いっぱいで終了した.
  • 『前川國男 現代との対話』(六耀社, 2006/9, →amazon, 「「生誕100年・前川国男建築展」を機に開催された7回の連続セミナーと、東京展の会期中に行われた3回の記念シンポジウムのうち、第1回と第2回の内容を収録。近代建築の巨人を、建築家や評論家など14人が語りつくす。」)の出版記念シンポジウムに、植田実、内藤廣、松隈洋(司会)と共に参加。詳細はこちら
  • 東京人 2006年 5月号 「石工と石屋が造った名建築―明治生命館/第一生命館/日本銀行本店/常磐橋/日本橋」 対談 鈴木博之×松山巖
  • 少し下で紹介した『建築批評』草版を、山本理顕が『Casa Brutus』(2006年5月号, 特集=次の読む本、237冊)で紹介していた。これも下の方で書いているが、山本さんと松山さんは芸大での同級生だったはず。山本さんは『卒業設計で考えたこと。そしていま』(彰国社, 2005)でも松山さんの名前を出していました(学生時代の活動の話とか)。/ところで、この『建築批評』草版について検索されてこちらのサイトに訪れている方が結構いるのだけど、どういう方が興味を持たれているのかしら気になる。追記:下でも、この本を取り上げておられたblogを二つを取り上げて、どちらも、この本の元になった授業に参加されれていた方たちのようだったが、もう一つこちらも。
  • 『文學界』2006年5月号 追悼・久世光彦「一体どこに隠れているのだろう」
  • 『d/SIGN』NO.12 掲載分の鈴木一誌の連載が「余白はほほえむ」と題されていた。タイトルから分かるように、松山さんの『建築はほほえむ』が取り上げられている。
  • NHK教育テレビ「ETV特集」第132回[4月1日(土)] の第2部として「人間を幸福にする建築を~建築家・前川國男の世界~(仮)」という番組が放送予定。松山さんが出演とのこと(こちらで知りました)。
    • 以下番組紹介から=「第1部は、建築基準法改正の際の議論のディテールを掘り起こすなど、建築界が抱える構造的問題の原因を分析。それを根底から改革するための専門家の提言を軸に企業、行政、市民は何をすべきなのかを考える。第2部は、戦後の名建築の数々を手掛けてきた建築家の前川国男にスポットを当てる。さまざまな建築問題に向かい合い「人間を幸福にする建築」を追求した前川。彼は倫理より利潤を優先する建築業界の在り方に、30年も前に警鐘を鳴らしていた。評論家の松山巌氏とともに前川の代表的な建築を読み解きながら、日本の戦後史の中で建築が抱えてきた問題を浮き彫りにする。」
  • 東京芸大大学院の松山さんの講義から生まれた『建築批評』(西田書店)って本(学生さんたちの批評が読める)ちゃんと続けて出てるねんね。2003年の黒版、2004年の風版、2005年の窓版と来て(それぞれ前年度の講義にもとづく)、2006年の草版が出たそうだ(中谷礼仁さんのところで知ったのだけど、こちらこちらでも言及があった。版元の西田書店からは松山さんの『建築はほほえむ』も出ている。
  • 2005年の吉村順三に続いてまた、日本のモダニズム建築関連のシンポジウムに出られるようだ。前川國男建築展の記念シンポジウム 第1回 1月19日(木)「前川國男のモダニズム」 司会:布野修治(滋賀県立大学教授) 林昌二(建築家・日建設計名誉顧問)、鬼頭梓(建築家)、松山巌(評論家・作家)とのこと
  • 「日本の<現代>」(全18巻)というNTT出版のシリーズの編者に松山さんの名前があることは既にお伝えしたが、このシリーズの既刊本に18冊のリストが出ていた(追記:こちらに一覧が掲載)。
  • 『未来見る』建築モラル消えた@『東京新聞』「土曜訪問」
  • 『Casa Brutus』 2006年2月号で「居場所を見つけるため」というお題で本をセレクトされていた。
  • 「大隠は市に隠れる―種村さんが与えてくれたもの」 『KAWADE道の手帖 種村季弘 ぼくたちの伯父さん』 p.36-56 坪内祐三との対談
    • 松山さん自身についての話の部分をちょっと引用=「……秋葉原から丸の内までちょっと歩いても、超高層巨大ビルがどんどん建っていて、小さなしもた屋なんかを見るとかえって「ウォーッ」とかって、そっちにびっくりしている。どうしようもないですね。そういうものについて異議申し立てる本を一冊書こうと思ったんだけど、歩いてみると現実が全然違う方に行っちゃってるからそんなの書いても何も言うことがなくて、『東京人』なんかも全部懐古的なものになってるでしょう、もう現実との接点なんかもわからなくなってきていますよね。」(p.55)/「それこそ坪内さんに以前、叱られたんだけど、僕が『東京人』での執筆は断わってたのに何で出るようになったのかというと、種村さんとの対談に呼ばれたからなんだ。……」(p.52)
  • 『週刊文春』2006年1月5/12日新年特大号 ノスタルジックエッセイ「昭和30年代7つの風景」として「東京タワー」について書いておられる
  • 『徹底討論 私たちが住みたい都市 身体・プライバシー・住宅・国家 工学院大学連続シンポジウム』 という本に、昨年の4/24に行われた上野千鶴子との「プライバシー」をテーマとしたシンポジウムの記録が収録されるみたい。
  • 下記の展覧会のカタログとして出版された『JA』 59号の吉村順三特集(2005/10)に「掌で陽だまりを掬うように ―吉村順三の方法」が掲載.
  • 『うえの』 2005年12月号 「ちいさな学科の百年---「吉村順三建築展」によせて」 こんな雑誌があるんですねー
  • 11月27日放送 NHK教育テレビ 新日曜美術館 に出演=「簡素にして品格あり 建築家・吉村順三の仕事」
  • 吉村順三建築展の記念シンポジウム「吉村順三の現代的意味」 2005年11月19日(土)14:00~16:00 場所:東京藝術大学美術学部大浦食堂 が、植田実×藤森照信×松山巌というパネリストのもと開かれれた。 詳細
    • 以上の吉村順三関連2件については「はてなD」の方で少し詳しく触れています(こちらから)
  • 連載:「怠けるヒント」@『住む。』 2005年夏号~
    • 第一回:, 第二回:, 第三回:夢を追えば怠けるしかない, 第四回:法律を崩すのは法律である,第九回(No.22):, 第十二回(No.25):, 第十三回(No.26):, 第十四回(No.27):,第十五回:東京都心から消えたものは,,最終回:神様だからこそ遊ぶ
  • 連載:「路地奇譚」@『みすず』 2005年6月号~ 評論ではなくて、小説ってか散文てか
    • 1:ヒトデナシ 2:カレー味の消防団 3:素晴らしき伝説 4:とてもセクシー 5:ヒノハナ 6:座敷のイロハニー 7:コロコロ、ニコニコ 8:ア・ソ・ビ・マ・ショ 9:マンドリルのくしゃみ

著作リスト:読んだもの

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  • 『うわさの遠近法』 [1993,1997,2003] 2回も文庫化されてる
  • 『うその学校』(池内紀との共著, 筑摩書房, 1994)
  • 『肌寒き島国』(朝日新聞社, 1995)
  • 『銀ヤンマ、匂いガラス 』(毎日新聞社, 1996)
  • 『ラクちゃん』(まつやまいわお名義, 絵:山内ふじ江, 偕成社, 2002)
  • 「読書の愉しみを忘れるなんて」 『本とコンピュータ』 2004年冬号
  • 書評 『繁華街の近代』「読売新聞」 2004年6/28

読書メモ

住み家殺人事件――建築論ノート

  • 住み家殺人事件
  • 『建築雑誌』 での連載「そして私たちは再び地図を描く」に大幅加筆
  • ところで、[スミカ]でタイトルの読みはいいのかな。
  • 「そのとおりだ。これらの規則は嘘、青っぽい嘘である。しかしあなたはこれらの規則すべてが嘘だといいきれるだろうか。」(p.178)
    • 「あなたはこの話を青っぽい嘘、ホラだと思うかもしれない。」(p.191)。この部分は次のように続く。「この話」ってのはこの本すべてと捉えてもいいだろうが、これはどうなんだろうか、納得できるだろうか。「しかし嘘やホラこそ私たちの夢であり、希望ではないだろうか。」
  • 寄生/ミッシェル・セール『パラジット』
    • この語はただネガティブに使われているわけではない
    • 「建物は周辺環境に寄生してつくられる」(p.181) 寄生していることが忘れられている
  • 「欠如している」
    • 「個人とはなにかに欠けている存在」(p.187)
  • 「日本の村」/守田志郎『日本の村』(1978)
  • 「現実の場」「小さな場」
  • 公的[パブリック]
    • 「「公的[パブリック]」とはひとりひとりがなにかに欠いている存在であることにめざめること」(p.187)
  • 過去・現在・未来
  • 世界
    • こわしつくりなおす?
  • 身体、身ぶり
  • 恐怖

都市という廃墟

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  • 1988年(S63年)、新潮社より刊行
  • 初出:『新潮』での連載(1987年1月号~12月号)
  • 一章、12000文字くらい
  • うーん・・・、困った。おもしろく読めなかったのはなぜだろう? 手法の問題? マテリアルの問題? その時代の問題? その時代と現在の隔たりの問題?
  • 参考:87年に吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー』刊行
  • 心理、それも個人のではなく、時代の心理を解明するような手法が不確かに読めてならない。
  • 戦後という時代の心理を解明するにあたって、三島由紀夫の小説が参照される。律儀に毎章三島の小説が参照される。三島のテキストがおもしろくない、読みたくない、のでうんざりする。
    • 「あとがき」によると、三島の小説を「現代の日本におきている事件や風俗を読む際に」参照した意図は、三島の作品世界と現実の「両者の間にあるズレを見ようとした」ものと説明されている。三島の小説に描かれた「"戦後" という時間と空間の意味を抽出し、それがいま急激に変容している事態を探ろうとした」。
  • それにしても全体を覆っているうす暗い空気。それはその時代の空気なのか。
  • 事件の現場を「わざわざ」見にいくスタイル。
  • 社会的な事件を扱うこと(たとえば、多くの自殺)
  • 東京だけでなく、日本国内各地を歩き取材したこと
  • 様々な世代の像を描こうとしたこと

世紀末の一年

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ちょっとした書誌メモ

  • 鼎談:「したたかな個人主義」松山巌×松浦寿輝×堀江敏幸, 『文学界』03年11月号 特集=内田百ケンに読み耽る)
  • 対談:「大東京時代の様々なる意匠」藤森照信×松山巌, 『東京人』00年4月号 特集=昭和モダン建築
  • 鼎談:「東京迷路」種村季弘×松山巌×鬼海弘雄, 『東京人』00年2月号
  • 対談:「私小説・探偵小説はくぼみ町から生まれる」種村季弘×松山巌, 『東京人』91年3月号 特集=東京くぼみ町コレクション」

未整理メモ

  • 「コンペイトウのメンバーは松山巌、井出建、元倉眞琴の三人です。その活動は元倉の著書「アーバンファサード」にまとまっています」(こちらのコメント欄より)
  • digmさんのところの松山巌についての文章
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  • 話に出てくる、同潤会のスラムクリアランス的側面についての「悲喜劇 1930年代の建築と文化」(編集:同時代建築研究会)に収録されたテキストは、「まぼろしのインテリア」 [1985] でも読める(第四章 戦[おのの]く人々―スラム対アパートメント)。 「まぼろし」には、松山さんが同人だった同時代建築研究会・雑誌『R』に書かれたテキストが三本収められている。
  • 「まぼろし」の章立ては以下:路地/第一章 怒る人―土足の文明開化/第二章 見せしめの人々―長屋と煉瓦街/第三章 逃げる人―聴竹居と文化住宅/第四章 戦[おのの]く人々―スラム対アパートメント/第五章 諦める人たち―闇市から2DK/終章 亡霊たち―空屋と高層団地
    • 第三章は藤井厚二の実験住宅についての話。陰翳の世界へと逃げ込んでいく/「インテリアの発見」。都市化、文化住宅。1920年代。
    • 終章には著者自身(1945年東京まれ)の記憶、また父親・祖父の生きた時代を持ち出しながら語られている。/「ともあれ、江戸は行くあてもないあぶれ者が腹をすかして残ったところで終わり、東京と名を変えた。」/歴史意識 「江戸はこうして崩れていった。芝居小屋、寄席は閉じられ、得意先を失った商人は江戸を見離した。溢れていたのは裏長屋の行き場のない者たちばかりだった。寒風が吹き抜けて、もう一度、汗まみれの夏がやってきて江戸は東京と名を変えた。慶応四年(一八六八)七月十七日。ついで同年九月八日から年号は明治に変わった。東京は屍臭の中から生まれた。屍体は薩長でも幕軍でもなく、裏長屋の虫けらたちのものだ。歴史とは、こういうものだと私は思った。」
  • 「まぼろし」は『百年の棲家』と改題されてちくま文庫に入っている [1995] 残念ながらこちらも品切のようだが。内容紹介=「幕末から現在にいたるまでの暮らしの変貌の中で、私たちは多くのものを得たかわりに少しずつ何ものかを失い続け、そして現在、ともすると記憶できる風景と、風景を記憶する能力のいずれをも少しずつ失いかけている。そしてさらに重要なことは、この少しずつ失っていったものが何であるのかをすっかり忘れてしまっている点である。忘れさられてしまった暮しの断面を人物を軸にたどる「忘却と想起」の精神史。」
  • 稲葉さんが「松山巌の本を、ネット古本屋も使ってあさる。」と書かれていた(2002年3月11日の記述)のにはへえと思うlnk リーディングリストでも『群衆』を挙げておられるしlnk

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