IndexUe/横浜のためのノート群 †
横浜インデックス(こちらより)
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yokohama関連のブックマーク(こちらより)
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サイトのtempメモ †
横浜の都市・アート系サイト †
創造都市政策 †
- 野田邦弘「都市の歴史的建築物にアーティストが集う―クリエイティブシティ・ヨコハマの挑戦」(『創造都市への展望―都市の文化政策とまちづくり』, pp.245-268)創造都市政策に基づいて引き起こされた動きがまとめられている.著者は元横浜市職員(なのでそういうつもりで読むべし).
古本屋(学術系,人文系など) †
- 伊勢佐木町+その周辺
- 田辺書店(以前誠文堂書店が入っていたところ,二階),ブックオフ(田辺書店の向かい),伊勢佐木書林(旧先生堂古書店),なぎさ書房
- 馬車道 誠文堂書店(馬車道の端っこ,北仲側,歴史博物館の隣の新しめなビルの二階,)
北仲通地区 †
- 北地区は,森ビルなどによる再開発計画が進行中
- 南地区には,横浜アイランドタワー+bankart1929が建っているが,残っている部分(今は中古車販売店として暫定利用)が,横浜市市庁舎の建て替え候補地に挙がっている
東横線跡地活用 †
山下町「県立新ホール・NHK横浜新放送会館」 †
- UeYkhmKitanaka 帝蚕倉庫・北仲BRICK&北仲WHITE
- UeYkhmKannai 関内
- UeYkhmYipt
- UeYkhmYit 横浜アイランドタワー
調べる †
横浜の建築関連本 †
- 横浜市教育委員会事務局文化財課/編「横浜・港・近代建築」(1984, 1987:改訂版 ) 横浜の近代建築について,有名でないものも含めて取り上げ,一番まとまっているのがこの冊子なんだと思う.興味ある人は,図書館で一度閲覧することをお勧めします.もちろん,今見ると既に失われた建築もたくさん載っていることになる./堀勇良さんが関わられている冊子.
- 神奈川県教育委員会編 神奈川県文化財調査報告書 第44集 神奈川県の現存近代洋風建造物目録(1984) これはどんなだっけな
- 横浜市建築局企画管理課編『横浜・都市と建築の一〇〇年』(1989) 新野裕秀「横浜の近代建築」や堀勇良「横浜の建築家」「横浜建築家事典稿」など充実
- 吉田鋼市・久我万里子『ヨコハマ建築・都市物語』(1995) 上の本より出版が後ですんで、取り上げられていた現存近代建築のその後って部分も読み取れるか(といっても、95年の本なので、現在・現状とはまた違う)。
- 『建築MAP横浜・鎌倉』(2002) わりと最近ですな。この本の場合は、近代建築だけでなく、現代的な建築も多く取り上げてますな。もちろん、基本的にはマップですんで、個々の建築については、最低限の情報って感じになります。
- 横浜市都市計画局都市デザイン室編『都市の記憶―横浜の土木遺産』(1988) この本なかなかいい。建築とはまた違った感じがあるねー。解説を書いているのは、堀勇良。(ちなみに、まだ手に入るようですー>横浜都市発展記念館・ミュージアムショップで扱いがあるよう・・・だけど、おそらく図書館などに所蔵されている初版と比べると印刷がプアーになってる)
- 長谷川伸「よこはま白話」(長谷川伸全集 第12巻 収録)
- 三島由紀夫『午後の曳航』
- 「『午後の曳航』の中には、昭和三十年代の終わりの横浜の様子が、微細に、そして立体的に、なにげない風景のすべてが透明な光で覆われたように、美しく描き出されている。その緻密さはある意味で、不必要の域にまで高まっている。」(橋本治「寓話と風景――『午後の曳航』」, 『ひろい世界のかたすみで』」
- 司馬遼太郎『街道をゆく 二十一』(1983) 「横浜散歩」収録
- 横浜市都市計画局開発部開発計画課・再開発課編『横浜の街づくり』(1991)
- 横浜市企画財政局編『横浜21世紀プラン』(1989)
- 横浜市企画調整局編『港町・横浜の都市形成史』(1981)
海岸通団地 †
横浜駅 †
preservation
あと、歴史博物館。
内部空間のはなし。
ポートサイド地区/横浜卸売市場
地図
桜木町
右から
横浜を歩く地図を描く †
- 横浜関連で こういうものをつくってみた。下に表示されている、speedをかなり下げて、少し透過度を上げて、落ち着いてクリックしていってもらうとわかりやすいかもです。
撮った写真
- 以下で紹介した建築を、建築中心に見たい場合は、こちらのサイト(「横浜建物散歩・関内編」)が写真もクリアでお勧めです。
横浜を歩く地図を描く。
- 写真(マテリアル)をアップ○ <-を別のウィンドウで開きながら読んでもらえると。
- 39(以下、数字は写真のファイル名の下二桁を表す。):イセザキモール。ミナトの方を向いて撮っています。左の方に先生堂書店が写っている。
- 40:そこから進んでモールの一番端っこ(ミナト側)。ここから先、吉田橋を渡って、JRの高架(水色に塗られているやつ)をくぐれば関内。吉田橋の下には、地下化された高速が走っている。
- 42:JRの高架を越えて、伊勢佐木町の方を振り返る。左の方に前にも話題にした、レコード屋台のテントが見える。
- 43:少し進めば、馬車道です。
- 47:その入り口のところに立っている標識ですね。方向を確認してみて下さい。ちなみに、横浜スタジアムがあるのは、横浜市庁って方ですね。
- 50:先日のはてなDでの記述でも触れたユニオンが入ったビル(馬車道沿いと覚えていればすぐに辿り着けたと気付く)。スタバが見えてますが、「なぜか馬車道のこの一角は、建物とコーヒー飲めるお店という容れ物はそのままに中身の店舗がころころと変わる」○と書かれている通り、たくさんお茶飲めるところが目に付きます。
- 53:関内ホール(横浜市民文化会館、設計:芦原義信 1986)です。側面が気になったら全体の見え方が変わった。
- 56:馬車道を進む。海のある方を正面として左側の脇道から向こうの方(桜木町方面)に見えた新しいビル。
- 57:先の写真の左手前にも写っていた神奈川県立歴史博物館(旧横浜正金銀行本店)。設計者は、赤レンガ倉庫と同じく妻木頼黄(実際の設計者は妻木本人ではないという記述も見かけたが)。
- 65, 69:ここから少し進むと、大きな道路とぶつかる。そこを左方向に曲がりみなとみらい方面を目指す。一枚目の上層が普通のビルで下層がレンガの建物は横浜第二合同庁舎。下層レンガの部分は旧横浜生糸検査所を復元したものだそう。ここら辺は、わりとすかすかで視界が開けている感じ(それがちょっとよかったりする)。
- 69, 72:進むと、一枚目の右端に写っている横浜アイランドタワーを支点に道が二つに分かれる。写真は支点から左側に伸びる本町通りで、このまま進めば桜木町駅にたどり着く。二枚目の写真は、支点あたりから来た方向を振り返ったもの。
- 73:支点で右の方の道(それまで来た道の続き)を行き、桜木町(駅)を経由せずみなとみらいを目指すことにする(この地図)。写真奥のクリーム色のビルは、桜木町のワシントンホテルとクロスゲートだと思う。桜木町駅を出た時に、左手方面に動く歩道/みなとみらいが見えるとすると、右手の方に見えるビルだな。で、この写真で注目して欲しいのは手前の新しく出来たみなとみらい線馬車道駅の入り口の一つです(ここで確認すると、出口2だな)。降りてみました。
- 74, 75, 76:駅構内の様子。改札内には入っていないし、それ以外もざっと見ただけだけど、はじめの二枚の通り、改札と内と外とその境界を眺められるのは新鮮だた。設計は内藤廣。ホームは写真で見える階よりさらに下の地下三階。
- 77-:以降は今回はおまけ的に。みなとみらい駅/クイーンズ・スクエア吹き抜け、みなとみらい線開通で廃止になった東横線の旧桜木町駅や、同じく東横線の旧横浜駅(こちらはホームが地下に移ってみなとみらい線と接続した)に、なんとなくハマスケートセンター/ハマボウル。
以下後日追加した分。
- 89:59のはす向かいってことになるのか。道に対する建ち方、スケール感がいいなーと思った(入り口が見えるが地下にあるギャラリーに繋がっているようだった)。写真で見て気付いたけど、ビルに角が出ないように処理してあるんだな。/ギャラリーは、大津ギャラリーというようだ○ 1日 5,000円って安いなあ。横浜だとこんなもんなのかな。場所もいいのに。今じゃ、馬車道駅の出口のすぐ近くだし。
- 05:これは、すごくとんで、ワールドポーターズの手前。先日の記述と繋げると、馬車道がぶつかる大きな道で左折せず、直進してその道をわたるとそのまままっすぐワールドポーターズがある方に繋がっていて、途中で海岸通の端っこが接続される。こちらの地図で確認してもらえば。写真はワールドポーターズを背にして振り返って撮ったもの。ここら辺の風景、スケールも結構好きだな、視界が開けている。ちなみに、海岸通の方へ曲がって行けば、大桟橋/山下公園の方へ出る。(でもさ、この写真の時の場合はさ―ぶれてるけど、とにかく―光が美しいと、どこでも美しく感じる、ってとこもあったと思う)
- 18:またまた、みなとみらい駅。これは、線路が写ってるなあと。やっぱり、照明が普通の地下鉄と違うんだろうなあ、いろいろなモノが見えてくる。
- 復習。イセザキモールと馬車道は全然違う。前者は商店街という感じがするけど、後者は違うでしょ。馬車道は碁盤目状に配置された道の(太めの)一本で、その碁盤目によってできたブロックに建築が配置されていく。そうするとそれぞれの角では、横道と共に建物の側面が見えることになる(53,56を参照)。あ、重要なことが抜けてた。イセザキモールの場合は車が締め出されているのに対して、44の写真で分かるように、馬車道の方は車道が通っていてその両脇に遊歩道があってその脇に建物がある、というかたち。
未整理 †
- 「明治五年、我が国最初の鉄道は、新橋と横浜を約五十分で結びました。正確には現在の「汐留」と「桜木町」が当時の始発駅でしたが、横浜駅はその後の百二十五年間に二度位置を変え現在の場所となっています。」 ○
Yipt 大さん橋国際客船ターミナル †