Robert Venturi[ロバート・ヴェンチューリ]は建築家.



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  • Architecture as Signs and Systems: For a Mannerist Time (with Denise Scott Brown)(2004 →amazon
  • 『建築のイコノグラフィーとエレクトロニクス』(鹿島出版会, 1999 →amazon)=原著 Iconography and Electronics upon a Generic Architecture: A View from the Drafting Room→amazon
  • ヴェンチューリのサイト http://www.vsba.com/ ざわざわしている。情報も多い。作品、見ているとにやけてしまうっ。
  • ヴェンチューリの Learning from Las Vegas のオリジナルバージョン見てみたいなー。誰かもってへんかなー。磯崎新とかはもってるんやろうな、あと訳者の(といっても廉価版の方やけど)石井和紘? 、3500ドルとかなってるらしい http://www.designobserver.com/archives/000146.html
  • 20年も前に、SD選書にヴェンチューリの二冊とも翻訳を入れくれたのはほんまありがたいけど、あまりにも写真が見にくいねんなー。
  • あと、コールハースとオブリストによるヴェンチューリ&ブラウンのインタビューを読んでもわかるねんけど、ブラウンさんの存在がめちゃ大きそうやねんな。「ナイーブな建築家の二人旅」には二人一緒のポートレイトが載っているが、ブラウンさんは鼻眼鏡のおばあさんだった。ヴェンチューリ曰く、「僕はこのデニーズ・スコット・ブラウンに堕落させられた、って気がするね! 僕にとってはデニーズと知り合って堕落したのが、すべての始まりだっだよ」。
  • 塚本さんも参照してそーと思って、テキストを見返したら、「空白恐怖症の東京――メイド・イン・トーキョーへの援護射撃」の中で触れてんね。コールハースも参照されてるが。コールハースは、ラスベガスについて、「強烈に刺激的」、同時に「驚異も感じ」たと言っている。「というのは、物質が文化に何をもたらしたのかを解読しはじめた(ここから『錯乱のニューヨーク』に発展したのですが)矢先に、物質から記号へのシフトを提唱するマニフェストであるこの本が登場した」。塚本さん曰く、「メイド・イン・トーキョーの建物によって捉えられる東京は、記号の混乱でも、情報環境の見えない都市でも、歴史の重層による都市でも、人、もの、エネルギーなどの流れによる都市でも、風水による都市でもない。それは東京の動的環境をほとんど決定してしまっている建物の特徴に内包された東京である」。この後、「非常に優れた参照すべき前例」として『錯乱のニューヨーク』の話がくる。
  • ヴェンチューリ 建築の多様性と対立性 [原著:1966](Robert Venturi Complexity and Contradiction in Architecture
  • 「ごく普通の都市景観をその平凡さと俗悪さのゆえに怒り否定する建築家とか計画家は、既存の景観の中の安っぽい要素を、見棄てるか、隠蔽するか、さもなければそれを新たな都市景観のためのヴォキャブラリーの中に組み入れないようにと、手練手管を弄するのだ。しかし彼らは既存の景観をより魅力あるものにすることも、またそれにとって代わるものを作ることもできない。所詮そんなことはできるはずがないのだ。彼らは、余りに沢山のことに手を出し過ぎ、自分たちの能力の限界を露呈してしまい、一応の専門家だということで保ってきた影響力も危ういものになってしまっている。建築家や計画家は、都市景観の中のごく普通の要素にほんの少し手を加えるだけで、大きな効果を生み出すことができるのではないだろうか。普通の要素を一部修正したり、他の同じように普通の要素と結び合わせたりして、文脈をひとひねりし、最小の手段で最大の効果を上げることができるのだ。同じもので異なった風に見せることが可能なのだ。」
  • 「秩序を作ることと折り合いをつけることの双方を併用することは、建物の修復とか、市街地開発を考える際にも役立つであろう。実際、既存の建物のプログラムが変化することは、よくあることであり、それこそ私の是認するところの対立性の主たる要因でもあるのだ。パラッツオ・タルージもそうなのだが、状況によるいくつかの例外を認めた構成の多くは、全体の表現は保存しつつも、それに修復を加えた結果得られたものである。イタリアの町を歩いていると、その表情の豊かなことにも気づくが、その豊かさの大部分は各世代ごとに、例えば古いパラッツォの一階にとても洒落た今風のパーを設置するごとくに、焦点に供される一階部分を、改修し近代化する慣わしの結果である。しかし、建物の本来の秩序は強くあらねばならない。」