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マウにとっての
- ハル・フォースター『デザインと犯罪』(平凡社、2011 →amazon)の中で、マウについての批判的言及あり
Spectacle. An Optimist's Handbook by Bruce Mau and David Rockwell †
- 新しい本。何の本だろう? おっ、amazon.deには解説があった。タイトル直球でスペクタクルの概念と歴史について扱ったビジュアルエッセイ? David Rockwellとの協働。
- Life Styleのペーパーバック版が出るそうな
- 思想家,Manuel De Landa とのコラボレーションもあった.zone books での協働.
- マウさん,「anytime」という本(●、翻訳もあり)で語っている(『Life Style』冒頭の「Get Engaged」という部分とほぼ同じ内容)。
- 内容は、メディア・テクノロジーによって用意された今日の状況、グローバル化する社会についての分析、そして「加速され狂乱した激流のようなこれらの状況に対し」ての、関与的なデザイン方法論の提案。「関与とは,われわれの利益のため、われわれが作業する文脈がもつすべての拘束、すべての条件、すべての限界の協力をとりつけることだ。それはつまり-好むと好まざるとにかかわらず-あらゆる前景の背景を引き受けることである」。 わたしたちが、「一生を装飾と再装飾に費やす運命」から脱するために、それ(自分が作業しているコンテクストの理解)が必要なのだ。「自由というものがもし、自分で選択した対象に自分のエネルギーを適用する能力のことだと定義されるなら、われわれの関心(われわれの時間とエネルギー)は最も貴重な資源であり、油断なく守られるべきものだということになる」。'
- シンポジウムの資料にもそういうことを書いてはった
- これだけでは,まだ「関与的なデザインの方法論」の実際について分かりにくい
『Life Style』 †
「Book Machine」 †
- マウの「Life Style」やハンス=ウルリッヒ・オブリスト(Hans Ulrich Obrist)の「LABORATORIUM」に収録されている、Antwerp Museum of Photographyでの展覧会「Laboratorium」のプロセスをその展覧会の会期中にリアルタイムに記述していくというプロジェクト
- 詳しくはー> BmauBkMachine
- 「Laboratorium」展のカタログについてー>○, ○, ○
An Incomplete Manifesto for Growth †
未整理の情報 †
- http://www.post1.com/home/hiyori13/cut/cut199612.html クールハースとブルース・マウのコラボレーション「S,M,L,XL」をとりあげながら、デザインと中身の関係について論じつつ、ハイパーテキストについて語る山形さんの文章。少し引用してみよう。「コールハースとしては、こういう何でもありの混乱が現在の建築の置かれた状況だと言いたいらしいけれど、印象として「建築」なんかどうでもよくて、この物理的に巨大な「本」のほうに意識が向く、そんな代物。これは九割方デザイナーのブルース・マウの本であり、読むより「見る」本なのだ。」
- Life Style中,Rem Koolhaas(レム・コールハース)とのコラボレーションの成果『S,M,L,XL』(1996)についての記述(p.332-343)。最初のページでこの本(『S,~』)がどのような本であるかを象徴的に伝える写真、本を真横にして閉じられていない方から写したもので、圧倒的なページ数がよく分かるし、このページにintelligent, invention, collision, collaboration, and expantion, but also, and more important, dumbness, drift, excess, and banality(p.338)のイメージが集積されていきながら一冊の本として閉じられ、物質的根拠(何よりあの本は重い)を持たせるコンセプトは、それだけで一つの表現として成り立っているといえるのではないか。そういえば、山形さんもこの本について次のように言っている。「まともに「読む」本ではない。まず厚さがそもそも「読む」気を起こさせない。それに文はあまり目新しくも示唆的でもない。プロジェクトが思い通りに実現しないとかいう建築屋の愚痴は聴き飽きたし、世界各地の通りすがり印象記も浅く軽すぎて、本の仰々しさとマッチしない。ドローイングや図面がいっぱい入ってはいるけれど、手あたりしだいにぶちこまれた、それ以外の小コラムや絵やマンガや写真やコラージュの大群がそれを半ば埋没させている。「今日における建築の状況を照射する本」というのが惹き句で、コールハースとしては、こういう何でもありの混乱が現在の建築の置かれた状況だと言いたいらしいけれど、印象として「建築」なんかどうでもよくて、この物理的に巨大な「本」のほうに意識が向く、そんな代物。これは九割方デザイナーのブルース・マウの本であり、読むより「見る」本なのだ。」(●)l。
- そのプロジェクト(それ)は、レムのオフィスについての本として始まったにも関わらず、最初から私たちはそれが、伝統的なモノグラフの形式(それが私たちがデザインすると法的に契約した形式であったのだが)にはなり得ないと十分分かっていた。265日の日数を費やし、264ページの長さになると思われた。ある時点で、私たちはこの仕事はスケールに関する問題とurban incorporationにに関するすべてのアイディアから組み立てられるべきであるということを理解する。これは大きな転機であった。そのときから事態は膨張し始めたのだ。
- 初期の出版業においては、デザイナーは出版業者でもありプロデューサーでもあった。彼らは、商業的にも文化的にもよいと思える自分たちのプロジェクトを作り出した。デザインというものが中身の製作から引き離されたのは、比較的最近の現象なのである。大きな歴史のうねりの中で、フォーディズムや
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